かつて、一世を風靡した(?)リゲインのコマーシャルで繰り返し出ていたフレーズですが、最新のリゲインCMでは、24時間「戦えない」とはっきり言われていて、時代の流れを感じました。ネット上で紹介されている、かつてのリゲインCMの変遷も見てみましたが、かつてはこんなCMを流していたんだな、今、これをやったら抗議殺到だろうなと感じるものも中にはありました。
私は昭和58年に大学に入り、昭和62年に大学を卒業して、検察庁に入ったのは平成元年で、昭和の終わり頃の社会の雰囲気、人々の考え方には、何となくまだ印象に残っているものがあります。既に当時としても反省、方向転換の気運は出ていましたが、メインの価値観は、やはり、勤勉さが成功につながる、長時間労働を厭わない、必要であれば休日も返上する、休暇はできるだけ取らない(取るのがはばかられる)、といったものであったと、振り返って思います。もちろん、それで良しとされていたわけでもなく、それでは良くない、という声も次第に大きくなっていたものでしたが、人々の中で、そういった従来の価値観は根強くあったと思います。それを支えていたのは、年功序列、終身雇用が社会の中で大きく普及して、頑張ればいずれ報われる、それを信じられるということであったことも見逃せないでしょう。
その後、平成に入ってバブル経済が最高潮に達した後に崩壊し、日本が迷走する中で、年功序列、終身雇用もかつてとは様変わりし、頑張ったから報われるとは限らない、そのように人々が思わざるを得ない社会に、徐々に日本はなってきたと私は感じています。そういう中で、苦しい思いをし自分や家族を犠牲にして「24時間戦えますか」はないだろう、ということになるのは必然でしょう。
ただ、昭和を引きずっている(?)私としては、物事を合理的に進めるべきで24時間戦えないのは当然としても、精神、気持ちの上での目標としては、24時間戦いたい、そういう自分になりたい、という、そういう感情を捨てることができませんし、私自身は個人の自営ですから、必要があれば休日返上でも徹夜してでも働く状態で、1日10数時間働く日がしばらく続いたくらいで弱音を吐いてどうするんだ、という、そういう気分になりがちです。しかし、そういう自分自身の気持ちと、社会や人々の在り方は、切り分けて考えなければならないし、それができないと「ブラック企業」の経営者のようになってしまうのだろうと、昭和の終わりから今までを振り返りつつ、しみじみと感じるものがあります。