http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160911-00000004-jct-ent
人間ドックでは「(がんの可能性は)五分五分」と言われていたが、再検査の医師は「心配いらない」と話したという。
昭和の終わりに検事総長を務め、不世出の検事総長とも言われた伊藤栄樹氏は、総長在任中に癌が発覚し、退任して間もなく亡くなりました。昭和63年のことでした。その伊藤氏が、生前の著書で、毎年、人間ドックを受けていたのに、と恨めしそうに書いていたのを今でも思い出します。亡くなった時、まだ60歳を少し越えたくらいで、伊藤氏が早世しなければ総長退任後にもいろいろと活躍したのだろうと、今でも、ふと思うことがあります。私が検事を目指していた司法修習生当時に、癌や逝去が大きく報じられていたこともあって、印象に残っています。
こういった話はよく聞きますし、50代に入っている私にとってもまったく他人事ではないのですが、人の見方というものに絶対ということはないので、特に生死に関わるような、健康面については、意見を求める人の選択に慎重になるとともに、必要に応じて複数の意見も聴いてみることが必要という気がします。例えば、上記の伊藤氏も、毎年、同じ人間ドックを同じように受けるのではなく、別の人間ドックを併用するとか検査項目を変えてみるとかしていれば、あくまでも可能性でしかありませんが、より早期に癌が発見されて延命できたかもしれません。これをやっているから大丈夫だろうと安心するのではなく、自分自身の身体の弱点はどこかを常に追い求める感じで、できるだけ全身に対してチェックをかけていく、そういうチェックの中で問題点が引っかかってくれば迅速により精密な検査をかける、そういうことを地道に積み重ねることが必要ではないかと、最近の私は感じて、嫌がらずに病院へ行くようにしています(若い頃は病院なんか関係ない、と思っていましたが)。
そういったことを、上記の記事を読みいろいろと考えていました。