東京地検特捜部(戦後史開封2)

戦後史開封〈2〉

戦後史開封〈2〉

既に文庫化されていますが、私は単行本で読んでいて、第2巻(全3巻)の冒頭に、東京地検特捜部というテーマで昭和時代の捜査が振り返られていました。私が読み返したかったのは、その中で、造船疑獄の際、娘にピアノを買うため一生懸命資金をためていた運輸省の課長が、部下を介して業者から資金提供を受けた(部下が介在していたため原資についての認識が欠如しているか薄かった)ことで、かなり無理に起訴され有罪にはなったものの、民間に転じて名をなした後に、当時の事情を知る元検事が書き記した体験記を読み、「私等夫妻にとって思わぬ救いとなりました。」と礼を言った、というエピソードでした。
上記のピアノの件だけでなく、昨日もコメントした

検事総長 - 政治と検察のあいだで (中公新書ラクレ)

検事総長 - 政治と検察のあいだで (中公新書ラクレ)

以前に読んだ、伊藤元検事総長

秋霜烈日―検事総長の回想

秋霜烈日―検事総長の回想

また、前にざっとしか読んでいなかったため、同じ著者の「検事総長」を読んだ今、きっちり読もうとしている

指揮権発動―造船疑獄と戦後検察の確立

指揮権発動―造船疑獄と戦後検察の確立

のいずれにおいても、造船疑獄事件の捜査には、事件の筋立て、収集された証拠の評価など、かなり問題があったことが指摘されていて、指揮権発動という問題も、そういった事件の中身とともに見て行かないと、歴史の中で正確な評価を下せないように思います。
刑事事件で、よく、上からの圧力で事件がつぶされ、といった話が出ますが、確かにそういうことがないとは言えないものの、つぶれた理由の主たるものが、そもそも事件としての性質上、証拠上、「駄目な事件」であった、ということもよくあって、その辺は、事件を知らず証拠を見ていない人にはわかりにくいので、関係者の中の不満分子が言う「上からの圧力」説が広く流布され定説化する(間違いなのに)ということも、よくあることです。造船疑獄についても、そのような側面を意識しながら慎重に見て行く必要性を今の私は感じています。