広島原爆:爆心500メートル圏、生存145人 手帳所持者・平均年齢79歳、証言集め急務−−毎日新聞調査

http://mainichi.jp/shimen/news/20140801dde041040062000c.html

広島市の調査では、原爆が投下された1945年8月6日は、爆心地から500メートル圏内に推計約2万1000人がおり、この年の年末までに9割が死亡したとされる。69年前の8月6日は月曜日で、爆心地周辺には銀行や企業が多く、出勤途中だった人も多かった。圏内にあった約5600棟のうち、1棟を除くすべてが全焼した。

神崎国民学校に通っていた13歳のとき。学徒動員先に行くため、近くの電停で同級生と電車を待っていた。「何か落ちたよ」。友だちが晴れた空を見上げた瞬間−−。目の前が真っ暗になって、地面にたたきつけられた。友人は地面に倒れ動かなくなっていた。

以前

ヒロシマ爆心地―生と死の40年

ヒロシマ爆心地―生と死の40年

の存在を知り、古書で買って読んでみて、

ヒロシマ爆心地―生と死の40年
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20110704#1309716290

とコメントしたことがありますが、原子爆弾の凄まじい威力で爆心地近くの多くの人々の生命が一瞬にして失われる中、ちょっとした偶然で生き延びた人々も僅かにいて、しかし、その人々も大量の放射線を浴びたことで次々と亡くなっていく、何とか生きながらえた人々も体調不良や健康不安に苦しみながら生きる、その酷さに戦慄のようなものを感じたことが思い出されます。
勇ましい、浮ついた議論にうつつを抜かす前に、戦争末期の日本で何が起きたか、戦争が引き起こすものは何か、いかに多くの無辜の民が酷く犠牲になるか、といったことを、起きてしまった現実として正視することの重要性を感じます。そういったことが、最近の日本では曖昧になっているような気がしてなりません。