司法試験、昔と今

http://kaishahou.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_aeb6.html

で、新司法試験の「受け控え」が批判されていて、昔と今の違いをしみじみと感じました。
私が司法試験を初めて受験したのは、大学3年生であった昭和60年で、日航ジャンボ機が墜落した年のことです。昨日のことのような気がしますが、既に23年近くが経過しています。
当時は、受験回数制限などなく、司法試験は、自分自身の人生を賭けた、無制限1本勝負の世界でした。合格率は2パーセント程度で、「不合格になるのが当たり前」という世界でもあり、合格できないことを残念がっている人はいても、恥じている人は皆無で、受験生は、意外と明るく生きていたように思います。
受験回数制限がないので、受験を早くから志している大学生は、教養科目の単位を取得し受験が可能になる大学3年生時から、試験慣れするために受験する、というパターンが多く、私もその1人でした。思いがけず択一試験に合格してしまい面食らいましたが、大学3年生の時に論文試験が受けられたことで、試験場の雰囲気や自分の弱点などを把握でき、最終合格した翌年へ向け、かなり役立つ貴重な経験になったことが思い出されます。
以前にも本ブログで触れましたが、真剣に合格を目指すと、受験生活は一種のスケジュール闘争のような様相を呈し、学ぶべきことが多いことから、かなり苦しい生活を強いられます。昔、有名なマラソンの選手が、走っていると苦しくてたまらず、道端にある次の電柱まで頑張ろう、その電柱までたどり着いたら、さらに次の電柱まで頑張ろうと、苦しみ抜きながら走っていた、という話を何かで読んだ記憶がありますが、司法試験のような難関資格試験にも似たような面があります。
そういう生活をしていると、目前の受験を見送ることで、束の間の安息の日々が生じ、一時的ではあっても楽にはなるものですが、そういったことをやっていては、いつまでたっても自分自身を厳しく追い込めず、他人から抜きん出て合格ラインに到達する日もなかなかやってこないでしょう。上記のエントリーは、正にそのことを指摘しているのではないか、という気がしました。