平成23年6月に急逝した玉井さんは、私が平成2年から同6年まで、新任明け検事として徳島地検に勤務した当時の3席検事で、3年間、一緒に事件に取り組んだりゴルフに連れて行ってもらったりビールを飲ませてもらったりしたものでしたが、人を介してお墓の場所がわかったので、今日、お彼岸でもあり、関西方面にあるお墓に、お参りに行ってきました。
行って探せば、すぐにわかるだろうと思い行ってみると、かなり広い墓園で、これはしまったと思いつつ、とりあえず探し始めたところ、ものの5分程度で見つかりました。昔、徳島にいたころのような感じで、おーい、落合君、ここだよと呼んでくれたようで、少し涙が出ました。
墓園の中で、線香や、お供え用の、ひば、を売っているところがあったので、そこで線香とひばを買い求め、墓前にお供えして心静かにお参りしました。お墓の前面が少し汚れていたので、持っていたポケットタオルを水に浸して、きれいに拭いておきました。
直接ではないにしても、玉井さんの急逝には、あの大阪地検特捜部事件の心労が影響していたのだろうと思います。落ち着いたら、会ってお酒でも飲みながら、当時の実状などを聞いてみたいと思っていたのですが、急逝により、それはできなくなってしまいました。
引責辞職の当時や、急逝直前の事務所開きの当時、送られた挨拶状で、淡々と事態を受け入れつつ前向きな言葉が書かれてあったことを、墓前にたたずみながら思い出していました。あの地位にあった者として、当然、多大な批判を受けるべきであり、また、責任の取り方が不十分であったという批判も当然あり得るところであるとしても、中途で検察庁を辞め世間の片隅でしがなく暮らす私に、温かい言葉をかけてくれていたことは今でも忘れがたく、若い時にいろいろと指導もしてもらっていながらお返しができなかったことも残念で、そういう思いを抱きつつ、お墓を心を込めて拭きました。
もういいから早く東京に戻り仕事を頑張ってくれという玉井さんの声が聞こえてくるような気もしつつ、これから帰京して、連休中は仕事に励みます。