http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130817-00000009-mai-life
「方針転換」の背景には、叱責を恐れるあまり、上司に相談できない若手が増えている実情もある。ある捜査幹部は「積極的になれと言われるが一歩踏み出したら失敗するかもしれない。何よりも叱られるのが怖い」と若手から訴えられたことがあるという。
現在の警察は1970年代半ばまでに大量採用された警察官の退職期が続き、勤務経験10年未満が約4割。公務員の採用抑制時期にあたるなどしたことから中核を担う40歳前後の層が薄く、若手への教育力が低下しているとの指摘もある。
私が高校生、大学生から司法修習生、新任検事の頃(昭和50年代半ばから平成の初め)は、指導するのに、怒鳴りつけたり叱りつけるのは当たり前で、それが当然、という感覚が一般的にありましたし、それで凹んでいるようでは駄目だと、怒鳴られ叱られたほうも発奮して頑張る(頑張ろうとする)、というのが普通でしたね。昔のスポーツ根性アニメ(巨人の星、など)を見ると、今では許されないほど、しごきまくっていますが、あれを見て楽しんでいた、という、一般的な感覚があったわけで(今なら「ブラックアニメ」などと言われて厳しく糾弾されたりスポンサーが降りたりする可能性もあるでしょう)、時の流れとともに人の意識や考え方も変わり、良いとか悪いとか言う以前に、接し方、指導の仕方も変えないと、とても受け入れられない、ということになってきています。そして、それは警察も例外ではない、ということでしょう。
ただ、気になるのは、私自身も、今ではしがない弁護士ですが、かつては検察庁にいて、過酷な環境に身を置いていたこともあるので感じるのですが、警察、検察といった仕事は、人の隠し事を暴く、そのために尋常ではない、厳しく高いハードルを歯を食いしばり乗り越えなければならない、そういう場面を避けては通れない、宿命的なものを持っています。叱られたくない、叱られるのが怖い、といった人の集まりになってしまって、果たして、そういう厳しい過酷な場面、局面に耐え得るのか、耐え得なくなることでどこまで落ちていってしまうのか、といったことを、記事を読み考えさせられるものがありました。検察幹部としての自分が今いれば、真剣に今後の対策まで考えるところですが、それはしがない弁護士のマターではなく、やはり早く身を退いておいて良かったと感じました。