http://www2.knb.ne.jp/news/20080111_14250.htm
富山地方検察庁の佐野仁志次席検事はあいさつで、「去年明らかになったえん罪事件で、警察も検察も世間の厳しい批判にさらされた。再発防止に努めるのは当然のことだが、マイナス方向にばかり考えて捜査を萎縮させてほしくない。警察、検察それぞれが柔軟かつ適切な対応策を講じて、相互の連絡体制をより緊密にする必要がある」と述べました。
同期で検事に任官しても、片や次席検事として一県の治安を担いつつ立派な挨拶を述べ、片やしがない弁護士に成り果て細々とブログを書く毎日と、歳月の流れの中で立場が大きく異なってしまいましたね。
捜査をいたずらに萎縮させるべきでないことに異論はありませんが、大きく問題となった、あの富山の冤罪事件について、真の意味で徹底した反省、検証が行われ、再発防止策が講じられたと言えるかどうか、ということが、まず厳しく問われなければならないでしょう。それが為されないまま、萎縮すべきでない、という意識だけが強くなれば、同じ重大な過ちを再び起こしかねません。検察、警察が安易にもたれあって同じ大きな穴に落ちてしまわないためには何をすべきか、ということを、改めてよく考えてみるべきではないか、と思います。
最近、警察捜査がネガティブに語られることが多く、特に検察実務家には、検察官の指揮・指導による警察捜査の適正化、といった「上から目線」で物を言う傾向が昔から顕著ですが、警察捜査が、自律的に、適正かつ実効的なものとして行われる、ということも、非常に重要なことです。かつて、本ブログで、
虚偽自白
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20050128#1106841589
と、かつての苦い思い出に触れたことがありましたが、その時、検事が大きな穴に落ちようとしているのを阻止したのは警察捜査でした。
取調べの可視化問題だけでなく、警察捜査全般について、適正かつ妥当に進められ真相を解明し国民の期待に応えるためには何をすべきであり、何をすべきでないか、ということが、裁判員制度開始が目前に迫る中、今後、ますます検討されなければならない、という気がします。