伊藤博文の直筆書簡を発見 抗議の辞職の心境つづる 大隈重信外相の対欧米強硬外交いさめる

http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20110830-OYO1T00701.htm

大隈は当時、不平等条約の撤廃を強硬に主張しながら、大審院(当時の最高裁)に外国人裁判官を任用するという妥協案を模索したことで世論の反発を受けた。
伊藤は大隈の強硬論では欧米諸国を敵に回すと危惧し、反対の考えを示すため、同月11日に辞表を提出。手紙は、天皇や政府の要人から度重なる慰留を受けた時期に書かれた。伊藤は結局、同月末に辞職した。

伊藤博文は、日露戦争前に、日露協商を目指して動いたことが有名ですが(坂の上の雲でも描かれています)、現実を直視し外国との決定的な対立を回避する方向で動く傾向にあったことがうかがわれますね。日露戦争は、日本が辛くも勝利しましたが、大きな犠牲を払った上、賠償金も得られない、文字通りの「辛勝」であったことを考えると、最後まで日露協商路線を目指した伊藤博文は、日露戦争における勝利とは別に、政治家として評価されて良いのではないかと思います。
新たな資料をもとに、歴史を改めて見て行くことは、興味深く、見る目が深まるように感じられます。