http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110830-00000020-mai-soci
差し戻し審では、独立系ノンバンクや不良債権の受け皿会社に対する融資計約1592億円を回収不能な損失として処理すべきだったかが争われた。
高裁は支援の合理性について、「債務者を再建できるかどうかではなく、多少なりとも貸出金の回収を改善するものかどうかで判断されるべきだ」と判断。それぞれの貸出先を個別に検討した結果、「支援の合理性が否定され、損失処理が義務付けられていたとは言えない」と指摘した。
同様の事件で起訴された旧日本長期信用銀行(現・新生銀行)の旧経営陣3人の裁判で、最高裁は08年「当時は過渡的な状況で旧基準による査定が許容できる」として、逆転無罪を言い渡した。
旧日債銀事件の最高裁判決(09年)も同様の判断を示す一方、融資先が自行の関連ノンバンクだった長銀とはケースが異なると指摘。「旧基準で査定した場合、融資を回収不能と評価すべきだったかが必ずしも明らかとは言えない」と述べ、審理のやり直しを命じていた。
長銀事件の最高裁における無罪判決で、日債銀事件についても無罪の可能性が高まっていたわけですが、最高裁が指摘した、旧基準で査定した場合の問題点についても、損失処理すべきであったとは言えないと判断された結果の無罪判決ですね。
当時は、長銀、日債銀の破綻処理、公的資金投入の一種の見返りとして、関係者の民事、刑事責任請求が声高に叫ばれ、国策捜査として東京地検が大量の人員を投入し、総力を挙げて捜査、起訴したのが両事件であったことが思い出されます。マスコミも、捜査、起訴に疑問を呈するような論調は皆無で、バブルに踊り巨額の公的資金投入を招いた責任が問われるのは当然、といった、捜査、起訴をもてはやすような報道で埋め尽くされていたことも思い出されます。最近、NHKスペシャルで放映されている、太平洋戦争に突入した当時の日本の状況に酷似していると感じるのは、私だけではないでしょう。起訴された被告人は、長年、自費で弁護士に依頼し、苦労を重ねて来ていますが、償われるのは、せいぜい、身柄拘束日数に応じた刑事補償程度(1日あたり1万円余り)で、捜査、起訴の責任者は、検察庁内で栄進し多額の退職金を得て、その後も優雅な生活を楽しんだりしていることを考えると、不条理、不公平ということも強く感じるものがあります。
国策等に基づいて歪んだ捜査、起訴が行われ、特定の人や組織がターゲットになって抹殺される、葬り去られる、といったことが、今後、起きないために、どういった改革を行うべきなのかを、今後、真剣に検討しなければならないでしょう。