大阪・平野区の母子殺害事件:死刑破棄 最高裁判決要旨

http://mainichi.jp/select/jiken/news/20100428ddm041040145000c.html

<多数意見>
有罪認定にあたっては、合理的な疑いを差し挟む余地のない程度の立証が必要だ。直接証拠がない場合は、状況証拠で認められる間接事実中に、被告が犯人でないとしたら合理的に説明できない(あるいは、少なくとも説明が極めて困難である)事実関係が含まれていることを要する。本件はこの点を満たさず、十分な審理が尽くされたとは言い難い。

堀籠幸男裁判官の反対意見>
1個の間接事実だけで、被告が犯人と推認できる強力な間接事実はない。しかし、多数の間接事実を総合すれば犯行への関与は合理的疑いを入れられない程度まで立証されている。
多数意見の「被告が犯人でないとしたら合理的に説明できない事実関係」という概念は必ずしも明確でない。刑事裁判の事実認定は、社会生活を営むことによって形成される経験則に基づいて行われるもので、裁判官の専権に属するものではなく、広く一般国民もなし得る。裁判員裁判は、多様な経験を有する国民の健全な良識を刑事裁判に反映させるものだから、裁判官がこれまで形成した事実認定の手法をそのまま裁判員が受け入れるよう求めることは避けねばならない。この概念を用いることは、裁判員裁判が実施された現時点では相当でない。

具体的な事実関係について、下級審の判断と最高裁の判断が大きく異なったことも興味深いのですが、「状況証拠で認められる間接事実中に、被告が犯人でないとしたら合理的に説明できない(あるいは、少なくとも説明が極めて困難である)事実関係が含まれていることを要する。」とする多数意見と、それに反対する堀籠裁判官の意見に、特に興味深いものを感じました。
私の感覚は、堀籠裁判官のほうに近く、状況証拠による立証については、合理的な疑いの有無を厳しく見なければならないことには異論がないものの、多数意見のような条件を付することで、状況証拠による立証が過度に制約されたり、状況証拠を総合すれば犯罪事実について合理的な疑いがないと認定できる事案であっても、「状況証拠で認められる間接事実中に、被告が犯人でないとしたら合理的に説明できない(あるいは、少なくとも説明が極めて困難である)事実関係が含まれて」いないが故に認定ができなくなる、といったことはいかがなものか、という印象を率直に持たざるを得ません。
最高裁がこういった判断を示したことで、今後、状況証拠による立証によるハードルがかなり上がったことは間違いなく、今後、この判例が、様々な場面で引用されることになるでしょう。

追記(平成22年10月29日):

判例時報2080号135頁以下に、上記判決が掲載されていました(最判平成22年4月27日)。
判例時報のコメントでは、上記のような多数意見について、

「被告人が犯人でないとしても合理的に説明ができる事実関係しか存在しない」という場面を想定すれば、それは、他に犯人が存在する可能性があるということであるから、そのような事実関係しか存在しないならば被告人を有罪と認定することができないのは当然である。

有罪認定のための新たな基準を定立したものではなく、事実認定判断の際の視点の置き方について注意を喚起しようとしたものではないかと考えられる。

としていますが、上記のエントリーで指摘したように、疑問です。
訴訟法上の証明は、自然科学における論理的証明ではなく、いわゆる歴史的証明であり、通常人であれば誰でも疑いを差し挟まない程度に真実らしいとの確信を得ることができるもので足り(最判昭和23年8月5日)、反対事実が存在する疑いを全く残さない場合をいうのではなく、抽象的な可能性としては反対事実が存在するとの疑いを入れる余地があっても、健全な社会常識に照らしてその疑いに合理性がないと一般的に判断される場合には有罪認定を可能とする趣旨である(よって、直接証拠による認定と間接証拠による認定で証明の程度に差異はない、最決平成19年10月16日)という、従前の判例で要求されていたものに新たな要件を付加し「有罪認定のための新たな基準を定立」したと判断される可能性が大きいと言うべきでしょう。