http://president.jp.reuters.com/article/2010/04/14/9A6BCE48-4210-11DF-BE5F-03F93E99CD51-1.php
ボ2ネタ経由で知りました。
種明かしをすると、その発端は検察官不足の解消にあった。
第43期の司法修習生である私の同期は約500人。1年前に修習を終了した第42期では、採用枠50人に対して実際検事の道を選んだのは20人にも満たなかった。各都道府県にある地方検察庁のトップが検事正だから、「これなら全員検事正になれるね」という冗談が出るほど、検事は人気がなかったのだ。バブルが弾ける前ということもあり、大手の弁護士事務所から高給での誘いが多かったうえ、検事は転勤が多くて敬遠されていたようである。
そこで02年3月に閣議決定された司法制度改革推進計画のなかで、「10年ごろには司法試験の合格者を年間3000人程度とする」との目標が定められ、新たな法曹養成機関として法科大学院(ロースクール)の新設も決まった。
昭和60年前後に、法務省、検察庁(特に法務省)が、あまりにも検事任官者が確保できないため、騒いでいたことがあって、その当時は、合格者増加というより、「若年」合格者を増やすということを目指していました。当時、司法試験合格者の平均年齢が28歳台で、29歳目前、という状況で、法務省としては、「若くて優秀な」合格者が増えれば検事任官者もより多く確保できると目論んで、司法試験の論文問題で複雑な事例問題を出すことを抑制したり、「検事その素顔」という、リクルート用のパンフレットを大量に作って各方面に配布したりしていたことが思い出されます。真の目的は検事任官者確保にありましたが、それをあからさまに言ってしまうと誰にも相手にされなくなるため、表面上は、このままでは司法試験が魅力ないものになり優秀な人材が確保できない、などと、司法試験全体の問題にすりかえて、法務省が必死に宣伝していたことも思い出されます。こういった流れが、その後、司法試験で一時行われた、受験回数が少ない者に下駄を履かせて合格させる方法(長続きせず取りやめられましたが)へとつながって行きました。
そうした努力にもかかわらず、上記の記事にあるように、42期司法修習生(私の1期下、バブル全盛期の平成2年任官ですが)の検事任官者は28名と史上最低に落ち込み、関係者が絶望的になる中、バブルが崩壊し、公務員人気が盛り上がる中で検事の人気も次第に上がってきて、平成一桁の後半になると、志望者が増加したことで、昔のような飲ませ、食わせ(さすがに抱かせ、はなかったと思いますが)の涙ぐましいリクルート活動をしなくても任官者が確保できるようになった、ということだと思います。
現在の合格者数増加と、検事任官者確保困難の間には、何も関係がないとは言えませんが、直接の関係はない、と私は考えています。