楽天ノムさん「戦力外」

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20091019-00000002-aera-spo

実は、ノムさんに反発しているのはリンデンだけではない。
「選手はほぼアンチ野村と言っていいでしょうね。表立っては言いませんが、公開説教なんてされて、反発しない選手はいませんよ。選手は、2位になったのは監督のおかげというより、コーチ以下の頑張りだと思っています」(バンキシャ1)
「コーチも困っているんです。『あいつは1軍に残しておけ』と指示しておきながら、次の日には『なんであいつが1軍にいるんだ』と怒る。ノムさんに振り回されて、陰でぶつぶつ言っています」(バンキシャ2)
「ミーティングの鬼みたいなイメージがあるようですが、それはヤクルト時代の話。いまとなっては幻想です。キャンプ中以外は、綿密なミーティングなんてしていません。コーチ任せです」(バンキシャ3)
「息子の克則バッテリーコーチもネック。佐藤義則投手コーチの頭越しに、父親である監督に勝手に投手交代を進言して、ベンチ内がぎくしゃくした。ノムさんの契約延長をすれば、もれなく克則コーチもついてくる」(スポーツライターA)
と、現場を知る人々は口々にノムさん批判を繰り広げる。もう、潮時だというのだ。

私自身は、野村監督の著書を読んだこともあり、高校までは野球に打ち込んでいたということもあって、野村監督特有の野球観、勝負観といったことからはかなりの影響を受けているほうではないかと思います。勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし、といった野村語録にもかなりの影響を受けています。心情的には、監督を務める野村氏の姿を、ずっと見ていたい、という気がしています。
ただ、上記の記事を全面的に真に受けているわけではありませんが、野村監督にしても、かつてのドン・ブレイザーにしても、自らの要求水準に達しない人々(水準が高すぎ、達しないのが普通なのですが)に対し酷にあたりすぎ、その結果、方々で恨みを買い、最後には足元をすくわれてしまう、という傾向が顕著に認められるように思います。
私のように、大きな組織に一定期間いて、そこからドロップアウトしてしまい、結局、しがない人生を送るようになって、マネジメントということとは無縁になると、かえってマネジメントということが、他人事だけに客観的に見えてくる面もあるのですが、最近感じるのは、日本人には、精神的に弱くもろい人が多く、そういった人々をいかに鼓舞し、「弱兵を強兵に変える」ことができるかということが、マネジメント上、求められている面がおそらくあって、そういう観点で言うと、野村、ブレイザー的なマネジメントには、やはりどこかしら欠けているものがあるのではないか、ということでしょう。
とは言え、野球の世界で一時代を築いた偉大な人物が、静かにユニホームを脱ぐ時が来たことには寂しさを感じ、監督を退いても、評論活動等の中で、その豊富な知識、経験、識見を存分に発揮してほしいという気がします。