露骨なえこひいき、鉄拳制裁…デーブ、イジメの構造とは

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100724-00000011-ykf-spo

雄星の母校野球部は体育会系の雰囲気とは無縁。地元で一緒に育った選手たちが、リベラルな監督のもとで、のびのびと野球をしてきた。
大久保前コーチの指導は熱血だが、ノックバットで殴ったり、誰にでも自分のやり方を押しつけたり、過剰な罰金を取ったりと不合理な面も。雄星ら若手は、こうした相容れない部分に、不満を募らせていったようだ。

私は、昭和50年代に中学、高校の野球部(高校では硬式野球)に在籍したのでわかりますが、スポーツの世界では、昔は、今なら「パワハラ」として糾弾されるような、時には暴力を伴うような指導が、ごく当たり前に行われていて、不満があってもそれが当たり前と考えられていた面があったと思います。しかし、平成に入り、次第に、世の中の風潮が変わり、そういった指導方法が受け入れられなくなってきて、かつては鉄拳も辞さずといった指導をしていた人々も、徐々に方針転換し、のびのびとした中で自主性、自発性を尊重するようなスタイルが主流になってきた、そういう印象を私は持っています。
かつてのような、パワハラになりかねないような厳しい指導で、今の時代に敢えて押し通そうとするなら、最低限度、公平さとか、厳しい指導の後のフォローといったことは不可欠で、それがなければ大きな反発を生み指導自体が成り立たなくなるでしょう。西武でのもめ事は、正にそういった経緯をたどっているように思われます。
人の指導というのは難しいものですが、相手があることで、自分の流儀を押し通せば良い、というものではないということは、やはり考えなければならないでしょう。