〈野村克也監督没後2年〉「墓は東京に作りたいんや。マミーと一緒に東京で頑張ってきたんだから」 克則が語った親父の最期の‟ぼやき”

〈野村克也監督没後2年〉「墓は東京に作りたいんや。マミーと一緒に東京で頑張ってきたんだから」 克則が語った親父の最期の‟ぼやき”(文春オンライン) - Yahoo!ニュース

「親父に言われたことがある……。あれはプロに入って、寮に入る前の日でした。自宅で二人きりになったタイミングで、『社会人になるんだから』と親父から話しかけられたんです。『節度を持て。謙虚な気持ちを忘れるな。挨拶はしっかりしろ。人の痛みが分かる人間になれ』と」

私自身、高校まで野球(硬式野球)をやっていましたし、その後も、野球には興味、関心を持っていて、野村氏のID野球には、著書も読んでかなり影響を受けた面がありますし、物の考え方や取り組み方にも、かなり影響を受けているように思います。亡くなって、もう2年になるのだなという寂しい思いとともに、残されたものを大切にして、今後も参考にしていきたいという思いを新たにするものがあります。

上記の、野村克則氏へはなむけた言葉にも、現場で苦労を重ねてきた人物の深みがあって、しみじみ、良い言葉だなと思います。しみじみと偲びました。