祖父母残し走った 熱風の渦押し寄せ…痛恨 東京大空襲被災 滝 保清さん(80)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2009081502000057.html

校舎は約千五百人の避難者であふれ、警防団は「断腸の思い」で玄関などに鍵をかけた。あとから火の粉をまとってやってくる人を中に入れたら、校舎内も火の海になってしまうからだ。
夜が明けると、玄関前に真っ黒な塊が見えた。校舎に入れてもらえず、折り重なって息絶えた人たちの遺体。棒のように突き出たものは、硬直した人の手や足。まさに地獄絵図だった。
十歳のころ病死した父親に代わり、かわいがってくれた祖父。優しかった祖母。二人を捜そうと翌々日、神社を訪れると、たくさんの遺体がトタン板に並べられ、どれも苦悶(くもん)の表情を浮かべていた。ランドセルを抱き締めた小学生の姿もあった。
二人の遺体は見つからず、知人宅に預けていた五歳の妹も火災で消息不明となり、二度とその笑顔を見ることはなかった。

焼夷弾のすさまじい威力が実感される体験談ですね。こういった大きな被害を国民にもたらした当時の戦争指導というものが、厳しく批判されるのは当然のことで、東京裁判がなくても、日本国民が自らの手で責任を厳しく追及する必要があったように思います。
最近、

昭和二十年夏、僕は兵士だった

昭和二十年夏、僕は兵士だった

を読んでいて、戦後に活躍した人々による戦中の体験が紹介され、著者の筆力が高いこともあって、かなり読み応えがありますが、それを読んでいると、戦争の惨禍というものが筆舌に尽くしがたいことや、戦争を回避し平和を守る必要性ということを改めて強く感じさせられます。今日は終戦記念日ですが、戦後、幸いにして戦争の惨禍を被ることがなかった日本の今後の進路、世界の中で果たすべき役割ということを考えてみる日にもすべきではないかと思います。