東京大空襲から74年。あの日、火の海になった東京はいま…(写真)

東京大空襲から74年。あの日、火の海になった東京はいま…(写真)(BuzzFeed Japan) - Yahoo!ニュース

死者10万人、消失家屋27万棟。東京大空襲の惨禍は、数字としてこうまとめられる。しかし、その罹災者の一人一人に名前があり、家族があり、将来の夢があった。
生き残った人々も家財が焼け、傷を負い、家族を失ったものも少なくなかった。孤児となった子どもも多かった。戦後、彼らが経験した苦労は筆舌に尽くしがたい。

 日本が、もう必ず負けるとなったのはいつか、見方が分かれるところですが、昭和19年6月のマリアナ沖海戦で連合艦隊は壊滅しており、その後の日本は、日本及びその周辺での制空権、制海権を喪失していたと言っても過言ではありませんから、昭和19年後半の時点で、もう勝負はついていたと言えると思います。その後は、敵に一撃を与えてから講和したいとか、本土決戦で勝利したいといった、無い物ねだり、こだわりに引きずられて、無用な犠牲者を増やしていった状態でしょう。昭和19年中か、せめて昭和20年初めまでに終戦に持ち込んでいれば、東京大空襲沖縄戦も、その後の広島、長崎への原爆投下もなく、少なくとも数十万人の犠牲が出ずに済んだはずです。当時の戦争指導者の責任には重大なものがあります。

記事にもあるように、戦陣に散り戦火に倒れた人々、個々人が、ぞれぞれ尊い存在で、夢も希望もありました。多くの犠牲の上に、また、学ばれた貴重な教訓の上に、戦後の日本は築かれました。歴史が指し示す道はいつか来た道、誤りを繰り返しやすい人類は、再び同じ道を歩みやすいものです。歴史に学び過ちを繰り返さない、歴史を直視して謙虚に学び教訓を生かす、それを、天空の遥か彼方で我々を見守る幾多の戦争、戦災犠牲者は強く望んでいることでしょう。そういう犠牲を生まない国家社会になることこそ彼ら彼女らは永遠に望んでいると思います。