焦げた名刺、サンダル、搭乗券…日航機墜落の遺品

http://www.kobe-np.co.jp/news/jiken/0001321244.shtml

兵庫に縁がある犠牲者の方々について神戸新聞が取材した記事ですが、丁寧に取材されていて、非常に良い記事だと思います。

祐三子さんは県立御影高、甲南大で学んだ。事故に遭ったのは入社七年目。一カ月前に結婚したばかりだった。
前田さんは、祐三子さんの言葉をよく覚えている。
「ジャンボは安全の点で二重、三重もの構造だから絶対に落ちない」。その信念があったからこそ、最後まで乗客の誘導に思いを巡らせていた。

以前、

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20060812#1155365462
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20080202#1201928725

で言及したことがある対馬さんですが、結婚して1か月でこの事故に遭ったことを、上記の記事で初めて知りました。個人として、いろいろなことが脳裏をよぎったのではないかと思いますが、不時着時の乗客誘導のみを手帳に記載していた、その職務に対する姿勢は立派と言うしかありません。

由美さんは事故の半年前に結婚し、神戸から埼玉県草加市に移り住んだ。「やっぱり神戸はいい」。電話でそう言っていた。事故当日は、結婚後初めての里帰りだった。
「十二日の123便で帰るから迎えに来て」。喜由さんは、事故二日前に電話してきた由美さんの声が忘れられない。「どうしても迎えに来て」と、珍しく強い口調で言った。それが最後の会話だった。

昨年十一月には、先祖代々の墓地だった三重県から、神戸に墓を移した。街や港が一望できる山の上だ。「喜んでいると思います」と両親。由美さんは、生まれ育った神戸に戻ってきた。

「虫の知らせ」ということが言われますが、どうしても迎えに来てと珍しく強い口調で言ったのは、何か予感するものがあったのかもしれない、という気がします。好きだった神戸に戻り、街や港が一望できる場所から、空の安全を見守っていただきたい、ということを強く感じました。