あなたは人を裁けますか〜裁判員制度まで1年〜(仮題)

http://www.nhk.or.jp/gendai/

6月2日午後7時30分からのNHKクローズアップ現代」で、上記のテーマが取り上げられるということです。
聖書にある有名な一節

人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる。

が思い出されます。「自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる。」というのが、物事の本質を突いているように思います。
ついでに言うと、聖書の中には、

あなたたちの中で罪を犯したことのない者がまずこの女に石を投げなさい。

という一節もありますね。
この点については、以前、

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20070202#1170374873

で、

昔、司法試験に合格して間がないころ、当時の西原春夫・早稲田大学総長のお話を聞く機会があり、人が人を裁くということは、本来、神だけができることであり、人が人を裁いてはいけない、しかし、それでは人間の社会が成り立たなくなるので、裁判官や、検察官、弁護士、といった、人を裁く(確かに、検察官、弁護士にもそういう面はあります)仕事というものが存在するが、そういった仕事に就く人々は、常に、神に近付く努力を怠ってはならない、といったお話があって、非常に印象深かった記憶があります。

と振り返ったこともありました。
以前、模擬裁判で裁判官役を務めた際、

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20061203#1165154844

私自身、裁判官役を務めるのは、司法修習生の時の模擬裁判以来で、感じたのは、やはり、人を裁くというのは大変なことだ、ということでした。当事者も大変ですが、ただ、刑事事件について言えば、検察官は攻める、弁護人は守る、ということで、自らの役割、テーマがはっきりしており、迷いがあまり生じない面があります。しかし、裁判官は、模擬裁判の裁判官役であっても、有罪か否か、刑を重くあるいは軽く、という異なる方向を行きつ戻りつしている感じで、神経の使い方が当事者とはかなり異なるという気がしました。

という感想を持ちましたが、この私ですら、こういう状態でしたから、一般国民が裁判員になれば、その負担たるや多大なものになることは間違いないでしょう。