亡き母の写真持たされ 強いられた自供 富山の冤罪男性証言

http://www.tokyo-np.co.jp/00/sya/20070318/mng_____sya_____008.shtml

この記事は、富山県警の新本部長にも、是非、読んでもらいたいですね。

男性によると県警氷見署の任意聴取に当初、容疑を否認した。しかし母親の写真を持たされるなどした上、刑事から「お前の親族が『お前に間違いない』と言っている」と追及され、「親族からも見捨てられた」と感じて容疑を認めたという。

鹿児島の選挙違反事件で問題となった「踏み字」と共通する、誤った捜査手法ですが、こういった手法が、いかに深刻かつ致命的な結果を生むことがあるか、ということを、捜査関係者はよく覚えておいたほうがよいでしょう。

拘束されて最も悔いが残るのは、父親の死に立ち会えなかったことだったという。拘置所で「悲しみながら亡くなった」と聞かされ、一日泣いた。
仮出所直後、一度だけ墓参した。「生きていてほしかった」「自分はやっていない」。墓の前で話しかけたという。

こういう話を聞くと、謝って済む問題ではないし、関係者に対し何の処分もしません、で済む問題でもないだろう、と思わずにはいられないですね。
記事では、「弁護士は真剣にやってもらいたかった。」という男性のコメントも紹介されていますが、単に捜査機関や裁判所を責めるだけではなく、適正な刑事弁護とは何か、こういった埋もれてしまおうとしている冤罪事件をうまく掘り起こして救済する弁護活動の必要性、そのための具体的な手法、といったことも、真剣に考える必要があると思いました。