捜査の入口と出口

東京地検特捜部による福島の事件、大阪地検特捜部による和歌山の事件が、いよいよ大詰めを迎えているようですが、いずれの事件でも、どこに「出口」を見出すかが、捜査機関としては気がかりなところでしょう。
殺人、放火、強盗等の、目に見える被害が出ている事件では、発生した被害について、犯人を検挙し、全容を解明して、やったことに見合う処罰を受けさせることが出口ですから、その意味では目標が明確です。
その一方で、上記の福島事件、和歌山事件のような、知能犯事件では、多くの場合、被害が目に見える形では発生しておらず、捜査機関による事件の組み立て方、供述の取り方などにより、同じ事件であっても、様々な展開があり得ます。
この種の事件では、捜査(特に強制捜査)に着手する前の捜査機関内部での検討、報告(着手報告、などと呼ばれますが)の際(「入口」段階)、それまでの捜査により判明している事実と、今後の捜査により解明すべき事実が明確にされるのが通例です。特捜部が手がける事件で、特に、身柄事件にまで至る場合は、これまでの捜査により判明している事実で主要な被疑者は起訴できることが確実視されているもので(多くの警察送致・送付事件のように不起訴もあり得るという発想はそもそもない)、着手時点で、既に、その先の、どこまで捜査によって解明して行くか、ということに重点が置かれているものです。そこが、正に捜査の出口です。そういった出口(特捜部が目指す)が、福島の事件では元福島県知事、和歌山の事件では和歌山県知事の検挙、起訴、有罪判決であることは確実でしょう。
ただ、捜査というものは、想定したように進む場合もあれば、そうではない場合もあり、特に、最近は、特捜部による取り調べだからといっても、昔のように観念して供述しない者も多く、事件がなかなか伸びて行かない、という傾向が進んでいるという現実があります。この種の大規模な捜査を、いつまでも続けているわけにも行きませんから、捜査の進捗状況を見つつ、主任検事や特捜部長、副部長は、地検内部や上級庁への報告も行いつつ、どこかに捜査の出口を見出す必要が出てきます。
福島の事件では、

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20061008#1160265740

でもコメントしたように、公職選挙法違反も捜査対象になっているようですが、元々の狙いが贈収賄であっても、狙った人物を他の犯罪で立件すること、立件できたことによって、そこを「出口」にする、ということも、捜査状況によっては選択されることがあり得ます。
特に捜査対象になる側の関係者が注意しなければならないのは、特捜系で名をあげている人、あるいは、名をあげようとしている人にとっては、何々事件で何々まで立件した、といったことが(例えば、ロッキード事件で田中元首相まで逮捕、起訴した、とか)、一種の履歴、勲章のようなものになって、その後の出世等にダイレクトにつながって行くものであり、逆に言えば、何々事件で全然解明が進まず失敗した、などと言われてしまえば立つ瀬がなくなる、ということで、死に物狂いで、上記のような「出口」を作ってくるものだ、ということでしょう(この「作って」という言葉の微妙なニュアンスを感じていただければ、と思います)。
そういったところに、自殺者、特捜検事の捜査途中での転勤、退職、無罪判決等々の、広い意味での「無理な捜査」が出てくる背景があると言っても過言ではないと私は思っています。