http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/edu/news/20060922k0000m040087000c.html
判決は、国旗国歌の生徒への指導が有意義であることを認めつつ、懲戒処分などを背景に教職員に強制するのは「行き過ぎた措置」と明確に断じ、教育現場での日の丸、君が代を巡る訴訟で初めて違憲判断を示した。処分の「事前差し止め」を認めた判決は異例。全国各地の同種訴訟に大きな影響を与えそうだ。
思想・良心の自由が、人の内心の問題にとどまる限り、その保障は絶対的ですが、外部に現れた行為について思想・良心の自由が問題になる場合、他の利益との衝突が生じますから、どこまで保障されるか、制約があるとしてどこまで許されるかが問題になります。問題が思想・良心の自由に関わるものである以上、外部に現れた行為について制約が行われるとしても、必要最小限度のものにとどまるべき、というのが、日本国憲法に照らした場合のスタンダードな考え方でしょう。
教育現場で、国旗を掲揚し国家を斉唱する際、教育上も、整然と行う必要がある、ということは、一応、言えるでしょう。起立している人もいればしていない人もいる、歌っている人もいれば歌っていない人もいる、という状態では、確かに、秩序ある状態とは言えないでしょう。
ただ、その一方で、国旗や国歌に対し批判的な意見を持ち、起立したくない、歌いたくない、という考え方を持つ人も(私は違いますが)世の中には存在しており、そういう人々に対し、意に反する行為を命じることは、思想・良心の自由との衝突の問題を生じさせます。
もちろん、意に反するからだめ、と単純には割り切れず、命じるだけの根拠、必要性との関係で、上記のような必要最小限性も考慮しつつ、許容される範囲が決せられるべきだと思います。
私自身の感覚としては、極めて微妙な問題であり、1審判決の結論が今後の上級審で維持されるかどうかは何とも言えない、というのが率直な実感です。
おそらく、どちらが勝訴するにしても最高裁まで争われ、重要な憲法判例として歴史に残ることになると思います。