4被告に無罪判決 明石の砂浜陥没死亡事故

http://www.asahi.com/national/update/0707/TKY200607070165.html

最大の争点だった事故の予見可能性について検討。砂浜の中に、美帆ちゃんが生き埋めになった事故の原因となったような深さ約2メートル、直径約1メートルもの大規模な空洞が発生しているのに、地表に異常が見られないということは土木工学上一般的な現象とはいえないと認定。4被告には現場付近で人が死傷する危険性について予見可能性があったとは認められないと結論づけた。
公判で検察側は、4被告が突堤の基礎部分のすき間をふさぐ「防砂板」が破損し、砂が海中に吸い出されて砂浜に多数の陥没が生じていることを認識していたのに、十分な調査や対策工事をせず、事故防止のために突堤に接した砂浜一帯に人が立ち入らないようにする対策を怠った、と指摘。これにより、砂浜の内部にできた大規模な空洞の上にいた美帆ちゃんを空洞内に転落させて砂に埋もれさせ、低酸素性・虚血性脳障害で約5カ月後に死亡させた、と主張していた。

あくまで記事を読む限り、ですが、ポイントは、上記のような「突堤の基礎部分のすき間をふさぐ「防砂板」が破損し、砂が海中に吸い出されて砂浜に多数の陥没が生じていることを認識していた」ということが、本件事故の予見可能性へむすびつくかどうか、でしょう。
過失の認定は、自然科学そのものではなく、あくまで、我々が営む社会生活の中の、当該立場に置かれた者として、何を予見し、何をすべきであったか、ということが問題になるものです。自然科学や鑑定が参考にされるべきことは当然ですが、異常をうかがわせるような事情があれば、一般的な現象ではなかったとしても、その原因の解明に努めるとともに危険な場所への立ち入りを禁止すべきであったのではないか、という検察庁の指摘は理解できますし、裁判所の認定は、いささか慎重に過ぎる、という印象を受けます。
控訴審で破棄される可能性が、決して低くない判決であり、控訴審の判断が待たれる、ということは言えると思います。

「疑問容易に想像できる」 冥福祈り、異例の言及
http://www.tokyo-np.co.jp/flash/2006070701002608.html

裁判長は、無罪とした理由を詳述した後、「当裁判所の所感」として「本件の結果はあまりに重大で悲惨。被害者や父親には何の落ち度もない」と指摘した。
一方で「事故後の知見をもとに被告らを非難するのはたやすいが、当時の状況や工学的知見などを軽くみて予見可能性を緩やかに認めるのは構成要件を不当に拡大し、適正でない」と判決理由を補足。その上で「二度と悲惨で痛ましい事故が起きないよう万全の措置を関係者に望む」と、再発防止への期待を込めた。

こういった配慮自体はそれなりに評価できますが、問題は、「当時の状況や工学的知見などを軽くみて予見可能性を緩やかに認めるのは構成要件を不当に拡大し、適正でない」として無罪にした、その判断が果たして正しいかどうか、でしょう。そこで誤っていれば、遺族がかわいそうだ、とか、再発防止を望む、などといくら述べても、裁判所の職責を果たしたとは言えないでしょう。