蛇足判決?

ボツネタで、

http://d.hatena.ne.jp/okaguchik/20060403/p8

と紹介されていました。
あの割り箸事件については、因果関係だけ判断して無罪判決を書いてしまったら、被告人・弁護人、検察官、被害者遺族だけでなく、事件に注目している国民も納得できなかったでしょう。裁判というのは、単に、結論さえ導けばよい、結論に導いた理由だけ明らかにしておけばよい、という、世間の片隅で人知れず行われている陳腐なセレモニーではなく、事件によって程度の差はありますが、生じた紛争を司法の立場から解決するという、非常に重要な機能を有しており、その中で、裁判所が証拠をどのように評価し、どのような考え方に立ったか、ということが、その事件の関係者だけでなく、同種・類似の事件や国民全般に与える影響というものも非常に大きいと思います。したがって、そういった点をきちんと判決で明示するということも、当然、行われるべきでしょう。
もちろん、なぜ裁判所がこのようなことを口にするのかわからない、といった、真の意味での「蛇足」は避けるべきですが、先日の割り箸事件の場合、因果関係だけでなく、過失の有無ということも熾烈に争われていたはずですし、医師や医療のあり方、といったことも問題になっていたと聞いていますから、因果関係にとどまらず、そういった諸点について、裁判所の認定、見解を明らかにしておくことは、裁判所として必要なことだと私は思います。
そもそも、この事件が控訴され、因果関係以外の点が問題になった場合(例えば、高裁が、因果関係はむしろ肯定するが過失のほうに疑問を持つ、ということも十分起こり得ます)、過失について原審裁判官がどのように考えたか、がわからないと極めて不便でしょう。
裁判は、自分が担当した審級だけで終わるわけではなく(それで終わるのは最高裁くらいでしょう、それでも「再審」もあり文字通りの最終審とは言えない面があります)、上訴された時のことも考えて判決文を書いておく、ということも、必要な場合があると思います。
何となく、日頃は批判の対象にしている最高裁や現役裁判官になりかわって反論しているようで、妙な気分ですが、気になったのでちょっと書いておきました。