「自白の重要性」雑感

http://www.yabelab.net/blog/2006/03/04-181329.php

で述べられていることは、全くその通りだと思います。ただ、私が危惧しているのは、そういった現状を、特に裁判員制度の下で維持できるか、ですね。
自白というものは、ほとんどすべての場合、積極的にはきはきとモノを言う、という経緯で得られるものではありません。自白すれば罪を問われる、実刑になる、仕事を失い家族も困る、経済的にも追い込まれる、等々の種々の不利益を被る、という状況の中で、嫌々、渋々するのが自白です。自白を巡る諸制度を、どれだけ改善しても、こういった本質は変わらないでしょう。
したがって、自白に依存した立証が多用される制度(正に「自白の重要性」が語られる、我が国の現行刑事司法です)においては、自白の任意性(証拠能力)、信用性(証明力)の評価が極めて重要にならざるを得ず、そういった評価を裁判員に強いるのは、極めて困難(ほとんど不可能)であるというのが、私の率直な意見です。
この問題は、自白に依存した立証を多用させる刑事実体法の内容によるところが大きく、本当に裁判員制度を実効性のあるものにしようとするのであれば、刑事実体法を大改革し、犯罪成立上、客観的な要素を中心に据えて、上記のエントリーにあるような、

深夜、路上を歩いている女性を犯人が無言で殴りつけたところで別の通行人に捕まったという事案を考えてみますと(被害者は怪我をしていないとします)、犯人が強姦するつもりだったら強姦未遂、わいせつ行為をするつもりだったら強制わいせつ未遂、金を取るつもりだったら強盗未遂になります。
しかし、このいずれかは無言で殴りつけた段階で捕まってしまいますと、外形的な行為からは判別がつきません。

といったことが起きないような犯罪体系を構築する必要があるでしょう。その点を放置したまま、裁判員制度を導入しても、裁判官や検察官、弁護士(いずれも専門教育を受け職業として刑事裁判に携わっている)ですら認定に悩む自白の任意性、信用性を、裁判員に的確に判断しろ、というのが無理というものです(例外はあると思いますがごく一部でしょう)。
各地で、裁判員制度を想定した模擬裁判が行われているようですが、やればやるほど、こういった本質的な問題を解決しないまま制度だけを作ってしまった問題点が深刻化するだけではないかと思います。
今のままでは、裁判員制度のカタストロフィが、それほど遠くない将来に確実にやってくると言わざるを得ません。