栃木女児殺害 判決の影響は

http://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2016_0411.html?utm_int=all_side_sdc_001_002

そして迎えた判決。宇都宮地方裁判所は検察の求刑どおり、無期懲役を言い渡しました。判決で宇都宮地裁は「自白の内容は、想像に基づくものとしては特異とも言える内容が含まれ、実際に体験した者でなければ話すことができないものだ」と検察の主張に沿う判断を示しました。

元検事の落合洋司弁護士は、「取り調べの様子を録音・録画したことで自白について検察が立証できたケースだ。検察は今後、今回のように自白があっても証拠の裏付けが弱い事件について、より積極的に起訴に踏み切る可能性がある」と述べています。ただ、落合弁護士は、「自白を中心とした捜査は、誤った判断を導きやすいという危険性がある。捜査機関は自白によって有罪の印象を持ったとしても、ほかの証拠で裏付けられるよう常に意識するべきだ」と捜査機関に対して、くぎを刺します。

日本国憲法刑事訴訟法も、自白のみで有罪にはできない、自白には補強証拠が必要であると定めています(補強法則)。ただ、学説上は、補強証拠についてそれなりに高いハードルを設ける見解(法益侵害が被告人の犯罪行為によるものであることまで補強を要するとする見解もあります)が有力であるのに対し、判例は自白の真実性を担保する証拠があれば足りるとしていて、自白の信用性が高ければ高いほど補強の程度は低くても済むという構造になっています。補強証拠のハードルを上げすぎるのも問題ですが、かといって下げすぎてしまうと自白偏重の弊害、誤判、冤罪へとつながりかねませんから、自白の信用性は、それが、圧倒的に優位にある取調官、捜査機関と劣勢にある被疑者とのいびつな関係の中で生み出され、そもそも信用性に問題がある、危険なものである(だからこそ補強法則も設けられている)ことも念頭に置きつつ慎重に評価する必要があるでしょう。
可視化されていない、密室状態下にあった従来の取調べで生み出されてきた自白調書については、様々な信用性判断基準が、主に裁判官や裁判官出身の研究者により整理、提唱されてきています。そこに現れたのが、本件でも取調べられた取調べ時の録画・録音でした。こういった証拠は、わかりやすく、裁判官、裁判員の心証にダイレクトに訴えかける威力を持つもので、正しく活用されれば、自白を従来以上に的確に評価する上での材料になるでしょう。
しかし、全面的に可視化されていない、一部をつまみ食いした「可視化」では、自白の過程を正しく評価するのではなく、いかにも信用性がありそうな場面が強調された、誤った認定に結びつく大きな危険性を持つ恐れがあります。また、映像、音声から受ける印象に引きずられてしまうことで、従来積み重ねられてきた信用性判断基準が軽視されて、誤った認定に陥りかねないことも懸念されます。本件で、そのような「つまみ食い」「他の判断基準の軽視」といったところに陥っていないのか、現在までのところ、私が得た情報では確認できていませんし、むしろ、そういったところへ陥っているのではないかと懸念されるものがあります。
従来の「自白調書」のみによる立証では限界があったものが、そこに可視化された取調べ状況を立証できることで、私がNHKにコメントしたように、今後、検察庁が「今回のように自白があっても証拠の裏付けが弱い事件について、より積極的に起訴に踏み切る可能性がある」と思います。しかし、自白というのは、元々、様々な危険性を持つ証拠で、自白があり有罪になったが後から真犯人が出てきたといったケースは多くあります。捜査機関が自白偏重に陥らず捜査を尽くすべきなのは当然ですし、裁判所としても、特に裁判員制度対象事件では、自白の経過については全面的な可視化による立証を原則とし、それがされない場合(部分的な立証にとどまる場合)には、取調官の証言を鵜呑みにせず被告人、弁護人の主張にも謙虚、真摯に耳を傾ける必要があるでしょう。また、取調べ状況に関する録画、録音でダイレクトに心証を形成するのではなく、従来積み重ねられてきた信用性判断基準(例えば、供述に不自然、不合理な変遷がないか、犯人でなければ知り得ない秘密の暴露はないか等々)も併用し、映像、音声に過度に影響されない慎重さも求められるのではないかと思います。
今後、本件について、控訴審、さらには上告審でさらに慎重な審理が行われることになるはずですが、1審の事実認定が検証されて、フィーリングで有罪認定していないか、合理的な疑いを入れる余地がない程度にまで検察立証が高まっているかどうかが問われることになります。様々な人々が抱いている疑問、懸念に対する答えが、今後、出ることになるでしょう。