裁判員制度の現状について取り上げられていて、六本木ヒルズスパのウォーキングマシンで歩きながら、付いているテレビで見ました。特に2つのことを感じました。
1点目は、今のところ、まだ事実関係が深刻に争われる事案が審理の対象にはなっていないということで、量刑に関する話題が中心になっていて、市民感覚が反映されている、といった自画自賛的な評価になっていましたが、重いにしても軽いにしても、量刑というものは、刑事政策的な観点からも、その正当性とか実効性等が検討されなければならず、市民感覚が反映されれば良い、といった切り口では、あまりに安易ではないか、ということでした。今までの刑事裁判は市民感覚が反映されていなかったから正しくなかった、裁判員裁判は市民感覚が反映されるからその点が是正された、とステレオタイプな見方をすれば、めでたしめでたし、ということになりそうですが、そう単純には割り切れないでしょう。今でも裁判員裁判の対象になっていない刑事裁判は市民感覚が反映されず正当性が損なわれているのかということにもなりかねません。
2点目は、今後、事実関係が深刻に争われる事件が次々と審理の対象になる中で、裁判員が、そういった事件を裁ききれるかということでしょう。量刑に関する問題は、もちろん重要であり、決めるのは難しいとは言っても、事実関係に争いがなければ、検察官の求刑、弁護人の意見、過去の量刑資料等をみながら、評議で話し合う中で、自ずと、このあたりで、という結論が出てくるものです。しかし、事実関係が深刻に争われる事件では、特に、多数の状況証拠が問題になったり、主要な証拠である自白の任意性や信用性が激しく争われるような事件にあっては、裁判員がどこまで対応できるか、かなり危惧されるものがあります。裁ききれなければ、裁判員制度の存在意義が根本から問われることになるでしょう。
テレビ番組という限界はあるものの、上記のような点を感じつつ、見ていて物足りなさは残りました。