裁判員に不当な影響を与え判断を誤らせかねない証拠

昨日夜のフジテレビ「サキヨミ」で、先日、東京地裁で審理が行われた江東区バラバラ殺人事件に関連して、陪審員制度を採用するアメリカで、殺人被害者の生前の生活を情緒的に紹介するビデオの証拠としての許容性が問題となったケースなどが紹介されていました。東京地裁での事件では、被害者の骨片等が多数の写真により立証されるなどしていて、それについては、本ブログでも、先日、

神隠し公判】裁判員制度を意識し判例提示 死刑選択はあるか?
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20090127#1233018375

とコメントしました。
上記の番組では、アメリカの連邦証拠規則に基づき、東京地裁で行われたような立証が制限される場合があるとされ、その理由は、陪審員に過度な悪印象を及ぼすからであるということが紹介されていたのが印象的でした。
日本の現行刑事訴訟法は、戦後、英米法の強い影響下で作られたものですが、英米法では、古くから陪審制が採用されたこともあって、様々な証拠に関するルールが定められています。その理由として、陪審員が適正な判断を行えるよう、証拠の許容性(平たく言えば、法廷へ出す資格、ということです)を厳格に定めておいて、陪審員が不当な心証を抱かないようにする、ということがあるのは、おそらく異論がないところでしょう。職業裁判官であれば、多少、変な証拠であっても、訓練を受け経験を積んでいますから不当な心証を抱かずに済んでも、陪審員は素人ですから、おかしな証拠に接し不当な心証を抱いてしまえば取り返しがつかないことになります。そのための厳格なルールということになります。
ルールが語られる中で、「関連性」ということが強調され(上記の番組でもその言葉が出ていました)、陪審員に不当な悪影響を及ぼす証拠は、関連性に問題があるものとして排除されるとされます。よく言われるのは、「悪性格立証」というもので、被告人の過去の前科や、問題となっている事件以外の悪行等により、被告人が問題となっている事件を犯したという立証は禁じられます。
日本の刑事訴訟法や刑事訴訟規則では、「悪性格立証の禁止」のような、法律的関連性の観点から証拠の許容性を制限する条文はありませんが、おそらく、それは職業裁判官による裁判が行われてきたからであって、今後は、連邦証拠規則のように明文化するかどうかはともかく、裁判員に対し、過度に感情的になったり被告人に対する過度な悪印象を植え付けるような立証は、上記のような意味での関連性を問題として制限する、ということも真剣に考える必要性が高いでしょう。
なぜ、そうであるべきかについては、上記のエントリーで述べた通りであり、現代の裁判は、被告人に対する剥き出しの憎悪をストレートにぶつけ復讐心を満足させる場ではなく、被害者側の事情は適切に立証する必要はあるものの、あくまで国家刑罰権をいかに適正に行使するかを検討する場であるべきですから、そういった目的にふさわしくない立証というものは合理的に制限されることもやむを得ないと言うべきです。
この点に関する議論は、今後、深める必要があり、合理的なルールを明確化しないと、間もなく始まる裁判員裁判の中で、同様の問題が次々と発生し、混乱が日本各地で生じかねないでしょう。