消えた北京原人、やはり米軍施設に? 43年憲兵隊報告

http://www.asahi.com/national/update/1228/TKY200512280257.html

報告書は、米国人や中国人を調べたなど捜査の経緯を記し、「米国に避難させるため41年11月に二つの箱に詰め、北京にある米軍の兵営に運び込まれた」と結論付けている。兵営を占領した日本軍の将校と一緒に、米軍が残した物品を調べたが見つからなかったとも記している。

報告書というものは、それが作成された経緯も併せて見て行かないと、評価は難しいでしょう。私が、今まで見る機会が多かったのは「捜査報告書」ですが、例えば、ある捜査を打ち切るために作成された捜査報告書は、捜査継続の意味がないことを強調しようとするため、ことさらネガティブな内容になりがちだったりします。上記の記事にある報告書も、作成された背景も含めて見ないと、判断を誤りかねないと思います。
ただ、記事に現れている内容、体裁を見る限り、日本軍も、北京原人化石の行方を捜していたことはうかがわれます。
今後は、日中両国が協力し、その行方を徹底的に追及すべきではないかと思います。