判決文、わかりやすく 最高裁、裁判員導入へ文例検討

http://www.asahi.com/national/update/1105/TKY200511050272.html

たとえば、争点の「殺意」。専門家の間で当たり前のように使われてきた「未必の故意」は、「とっさに『死んでもかまわない』との思いを抱いたとしても特に不自然ではない」と言い換えた。

裁判員が悩むのは、言葉の難しさよりも、むしろ、未必の殺意であれば、「死んでもかまわないとの思いを抱いたかどうか」という事実認定そのものではないかと思います。
計画性がなく、とっさに殺意を抱いたかどうかが問題になる場合、被疑者・被告人は、「無我夢中だった」といった供述をして殺意を否認する場合が多くなります。そこで、訓練を受けた法曹は、動機、凶器の有無・内容、実行行為の態様、攻撃部位、実行行為後にとった措置等を総合し、一連の事情から殺意を推認できるかどうかを十分見極めつつ、自白があれば自白の信用性も慎重に評価する、という手法によりますが、おそらく、裁判員に、そのような検討は難しく、ダイレクトに、「内心における殺意があったかどうか」という悩み方、迷い方をすることになるでしょう。
人間の内心そのものを開けて見ることもできませんから、そのような悩み方、迷い方をする裁判員は、逡巡を重ね、何らかの結論に到達するか(正しいかどうかは不明)、到達できずにどこかで挫折することになると思います。
本当に、こういった刑事裁判で良いのか、を問題視する人がいるのも、うなずけるものがあります。