ロースクールでできることとできないこと、できない中で、すべきこと

岡口裁判官ブログの中の

http://d.hatena.ne.jp/okaguchik/20050604/p4
http://d.hatena.ne.jp/okaguchik/20050604/p5

について、コメント欄でいろいろとコメントされているのを読んだ。
私自身は、自分のことを、優秀であるなどと全然思っていないが、司法試験には大学4年生の時に合格しており(昭和61年)、当時としては、かなり早く合格した部類には入る。
そういう経験から言うと、3年程度の受験勉強期間(私の場合、勉強を始めて最終合格まで約3年半であった)で、憲法民法、刑法、商法、民事訴訟法、刑事訴訟法、選択科目1科目を、一通りマスターし、択一試験にも論文試験にも対応できる程度まで能力をつけて、ということを、きちんとやろうとすれば、さらに「専門分野」までこなす、というのは、到底無理である。もちろん、世の中には極めて優秀な人もいるから、そういったごく一部の人は可能かもしれないが、私のような平凡な能力しかない者が世の中では大勢を占めているわけで、そういう人を基準に言うと、無理なものは無理だと思う。
現実的には、現在のロースクールでは、「専門教育」と言っても、実務の雰囲気をちょっと味わってみるとか、専門分野のエッセンスのような部分を表面的にさーっと鳥瞰するとか、その程度のことしかできないと思う。基本六法も一通りマスターしていないのに、刑事の事実認定論にはまっているとか、知的財産法をしらみつぶしに勉強しているとか、そういう人がいれば(いないとは思うが)、勉強方法(あくまで司法試験に合格して実務法曹になるために、という意味である)を間違っていると言うしかないだろう。
現在のロースクールに関する議論で、非常に不幸だと思うのは、ロースクール在学中の限られた年数(3年程度はあっという間に経ってしまう)、限られた時間、できることには限界がある中で、何をすべきで、何から行うか、といった議論が発展せず、日本とは法曹に関する基盤も歴史も異なる国の話を絶対的な真理であるかのように喧伝する者、法曹とはいかにあるべきかを哲学的に論じる者、実務法曹の世界を学問の世界よりも下に見て実務についてわけもわからず論じる者、等々、不毛な議論がはびこりやすいということ(そういう国民性と言ってしまえばそれまでであるが)ではないかと感じる。
ロースクールにおける「専門教育」に関する議論も、現実を直視し、地に足をつけて行わないと、何の実益もない時間の無駄にしかならないだろう。そもそも、合格率が予想以上に低く、浮き足立っているロースクール生に対し、司法試験とは直接関わらない「専門教育」の重要性を説いたところで、どれほどの人が関心を持つか疑問である。