社説:袴田事件 取り調べ可視化の教訓に

http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/news/20040828k0000m070172000c.html

この経緯が捜査への信頼を損ねたことだけでも、当時の捜査当局の責任は重い。偶然なのか、同県警は本件の前に、死刑判決確定後に再審無罪となった島田事件などの誤認逮捕や捜査ミスを連発させ、社会の批判を浴びていた。本件捜査では汚名返上のため科学捜査を駆使したと強調されたが、その実は戦前の自白偏重主義から脱却できていなかったに違いない。

確かに、昭和20年代から30年代にかけての静岡県警は、島田事件だけでなく、二俣事件とか、幸浦事件など、冤罪事件を引き起こしており、その原因としては、特定の警察官及びそのグループによる非常に問題のある捜査手法というものが指摘されています。
ただ、私が静岡地検に勤務した平成9年から平成12年に感じたところでは、静岡県警の捜査(特に殺人等の重大事件)は、過去の反省もあってか、相当慎重に進められており、他の県警に比べて、特段の問題点を感じたことはありませんでした。

この際、取り調べの録音、ビデオ録画による捜査の透明化を一気に進めたい。本件でも、もし、取り調べ状況を客観的に判断できる録画などがあれば、自白の任意性、信用性を争って法廷で時間を費やす必要はなかったはずだ。裁判所が一貫して45通中の1通だけを証拠として採用したことの当否も明確になるに違いない。

取り調べの可視化は、日本でも、もう避けては通れないと思います。私も、かつては取調官で、取調官の立場では、録音とかビデオ録画は、やめてほしいと思っていました。日本の捜査機関による取り調べは、一種の「カウンセリング」という側面があり、時間をかけ、いろいろな働きかけを行いながら、被疑者を自白へと導いて行くプロセスと言っても良いと思います。その過程を録音、録画されると、「カウンセリング」の効果が減殺される、というのが、現在の取調官、捜査機関の意識でしょう。法務・検察も、そういった理由で、取り調べの可視化には強く反対しているというのが現状だと思います。
しかし、裁判員制度も導入されようとしている中で、取り調べ状況が不透明で、取調官と被告人の水掛け論が延々と続くような状況は、もはや維持できないところまで至っていますし、そのような状況を改善しないようでは、国民の納得も得られないでしょう。かつては、技術的な問題から、録音や録画は無理だ、と言われていましたが、家庭でもハードディスク内蔵の録画機で数百時間のテレビ録画が簡単にできてしまうような状態になっており、そういった根拠は完全に説得力を失っています。
取り調べ状況については、一定以上の重大事件は録画、それ以外の事件は録音を義務づけて一定期間保存することとし、その一方で、司法取引や刑事免責の制度も導入し、現在、上記のような「カウンセリング作業」に投入している捜査機関の多大な労力を、より合理的に活用して行くべきであるというのが、現在の私の意見です。