菅家さん取り調べ録音テープ、検察内で保管 検事録音か

http://www.asahi.com/national/update/0811/TKY200908100368.html
http://www.asahi.com/national/update/0811/TKY200908100368_01.html

検察は06年8月から取り調べの一部の録音・録画を試行しているが、それ以前の時期で長時間に及ぶ録音が明らかになったのは異例だ。
取り調べ担当の検事の判断で録音されたとみられているが、再審開始決定を契機に活発化している取り調べの全過程の可視化をめぐる論議にも影響を与えそうだ。

取り調べの録音は、92年1月に処分保留となった後、93年2月に不起訴処分となるまでの間に断続的に行われた。検察内部で保管されていた録音テープは、カセットテープで十数本に上るという。検事が、起訴、不起訴の判断をする際の参考にするために録音したとみられている。
録音内容は、検事が菅家さんに録音の承諾を得る場面から始まり、当初は2件の犯行を「自白」した部分があったが、最終的に2件とも否認しているという。

私が検察庁を辞めたのは平成12年(2000年)で、まだ、その当時は、可視化の議論が今ほどは盛り上がっていませんでしたが、それまでの検察実務でも、取調べの録音(録画ということは言われていませんでした)ということは、必要があればやって良いし、やるべき場合もあるという認識は持たれていたと思います。私自身は、自らの取調べの状況を録音したことはありませんでしたが、担当した、自白が決め手になりそうな殺人事件で、警察が任意取調べの段階で取調べ状況を録音したことはあり、後日、自白の任意性、信用性を激しく争われることに備えての措置として適切なものだと考えた記憶があります。
ただ、従来の実務で警戒されていたのは(今でも捜査機関は警戒していて、だからこそ可視化に消極的であるわけですが)、録音することで、捜査機関にとって記録したくない供述や供述の変遷状況が記録に残ってしまい、録音したが故に自白の信用性(任意性については、疑われるような場面は録音しないとしても)に疑問が生じてしまうということであり、そういった懸念があったが故に、録音事例は極めて少ないと言えると思います。
そういった中で、足利事件で上記の記事にあるような録音が行われていたということは、宇都宮地検が、自白の、特に信用性について、かなり疑問を持ち上記のようなリスクをとっても録音して信用性を確保する必要性を強く認識していたことを示すものと言えるでしょう。そういった疑問は、起訴した事件(再審になった件)についても生じていたと見るのが自然で、当時の捜査過程を検証する上で、こういった録音テープの存在はかなり重要な手掛かりになるものではないかという印象を受けます。