福岡の男性誤認逮捕か「同居女性かばうためやったと話した」

http://www.sponichi.co.jp/society/news/2012/10/17/kiji/K20121017004345540.html

東京都内の幼稚園に襲撃予告メールを送ったとして警視庁に逮捕され、その後パソコンがウイルス感染していた恐れがあるとして釈放された福岡市の男性(28)について、捜査当局が一連のパソコン遠隔操作事件に巻き込まれた誤認逮捕だった可能性があるとみていることが16日、関係者への取材で分かった。
男性は警視庁の取り調べに容疑を認めたが、その後「同居している女性がメールを送ったと思い、かばうために自分がやったと話した」と供述した。

虚偽自白が生み出される類型として、「絶望からの自白」ということが指摘されることがあります。お前が犯人であることは証拠上明らかで否認していても有罪は間違いない、と決めつけられれば、やっていなくても、もう駄目だと絶望して、早く解放されるため、罪を軽くするために自白する、ということは大いにあり得ることです。冤罪であることが判明して再審無罪になった足利事件の元被告人の場合はDNA鑑定による決めつけ、現在、問題になっている遠隔操作ウイルスによる事件ではIPアドレス等による犯人特定という、それだけ取ってみると抗いようがない証拠による決めつけ、ということになるでしょう。
刑事事件で、自白という証拠が、それにより初めてわかる事情も多いことなどからも重要であることは明らかですが、虚偽自白が生み出されてしまうことによる取り返しがつかない悲劇といったことを考えると、やはり、自白獲得が従来よりも困難になっても、取調べの過程を可視化して、供述経過を後から検証できるような措置を講じ、虚偽自白させられて冤罪に泣くような人を、少なくとも日本では根絶するようにすべきでしょう。
先ほど、テレビ朝日モーニングバードに生出演する前に、楽屋で資料を読んでいたところ、新聞記事で、一連の事件の中で、既に保護観察処分になっている横浜の大学生が、否認していたものの泣きながら自白した、という記事を読み、これが冤罪であれば(その可能性は高そうですが)、泣いていたその人の気持、悔しさはどれほどのものだったのだろうか、ということを、かつての自分の捜査、取調べ経験にも照らしつつ考え、沈痛な気持ちになりました。真相を解明し、犯人を検挙して適正に処罰することが捜査機関の目的であることは言うまでもありませんが、それは、無実の人を冤罪で苦しめない、そういう正義に反する不幸な事態を生み出さないということと、常に両立する必要があり、前者よりも後者が優先されるべきで、個人の尊厳、幸福を最大限に尊重する我が国における捜査は、そういう高いレベルのものでなければならないということを、改めて感じています。

2012年10月16日のツイート

最高検公判部長:電車遅らせた問題で更迭 動機説明せず

http://mainichi.jp/select/news/20121017k0000m040068000c.html

最高検によると、岩橋前部長は9月28日午後11時25分ごろ、横浜市青葉区東急田園都市線あざみ野駅で、乗っていた電車のドアが閉まる際に自分のかばんを何度も挟み、発車を約4分遅らせた。運転士が前部長を見つけ、警察に引き渡した。庁舎内で酒を飲み、帰宅途中だったという。
調査した最高検は前部長の故意を認定する一方、動機については「差し控えたい」と説明しなかった。

報道されている行為態様や結果に照らすと、刑法上の業務妨害罪や、軽犯罪法違反(1条31号で「他人の業務に対して悪戯などでこれを妨害した者」が処罰対象になっています)が成立する可能性が高いと考えられますが、何ら立件せず、ということなのでしょうか。業務妨害罪までは認定しにくくても、軽犯罪法違反(より軽微な事案に対して適正に取締りを行うために設けられた処罰規定です)を適用してけじめをつける、というのが、法治国家における、最高検公判部長という高位高官にありながらこのような愚かな迷惑行為に及んだ者へのけじめのついた措置ではないかと思います。
下のエントリーの、おそらくは冤罪により泣きながら自白した(させられた)大学生(事件により退学処分になった、とのことです)と比べ、単なる厳重注意(国家公務員法上の懲戒処分ですらなく)、更迭、本人は辞職の意向なし(他の報道によると)で終わり、というのは、あまりにも甘すぎる措置と感じるのは、おそらく私だけではないでしょう。他人に厳しく身内に甘く、という検察庁では国民の信頼も納得も得られないと思います。
このニュースを聞いた子供から大人に対して、このおじさんは最高検公判部長という偉いおじさんなのに他人に迷惑をかけて叱られ席替えされただけで終わりなの、僕も(私も)悪いことをしても叱られて席替えされるだけで終わりなら悪いことやってみようかな、と聞かれたら、大人は何と答えればよいのでしょうか。こうして、法治国家は秩序を失い人心も乱れて崩壊して行くのではないかと思います。
国家刑罰権の適正な行使という重要な職務に携わる、その組織の、最高検公判部長という要職にあった者の、この無様な姿、それに対するいい加減な措置は、現在の日本におけるモラルハザードや国としてのあるべき姿の自壊といったことを象徴するものと言えそうです。

スティーブ・ジョブズ氏が1983年に行った講演の全録音が公開--驚くべき先見性

http://japan.cnet.com/sp/businesslife/35023039/
http://japan.cnet.com/sp/businesslife/35023039/2/

この話題には先日も触れましたが、確かに、驚くべき先見性ですね。

同氏は、「驚くほど性能が高く、20分で使い方が学べるコンピュータを、持ち運び可能な1冊の本程度の大きさで実現する」というのがAppleの戦略であると述べている。これはわれわれが今日親しんでいるものとよく似ているのではないだろうか?またAppleは、人々がケーブルを引き回すことなく「より大規模なデータベース」や他のコンピュータと通信できるよう、そういったコンピュータに「無線接続機能」を搭載したいとも考えていた。

現在、我々はスマートフォンタブレットを使い、無線接続機能を利用して多種多様なデータをやり取りしていますが、そのような世界を、約30年前に思い描いていたのは、正に驚異的な先見性、洞察力と言うしかありません。目の前にある、存在している需要ではなく、はるか先にある、存在すべき、それも巨大な需要というものを想定していたスティーブ・ジョブズは、やはり天才だった、ということを強く感じます。世界にとって有用かつ必要な人材を失ってしまったことは、極めて大きな損失であった、ということを、改めてしみじみと感じます。時代の革新は、こうした、100年に一度出るか出ないか、といった天才により成し遂げられる、ということでしょう。

ネアンデルタール人の謎、解明進む

http://mainichi.jp/feature/nationalgeo/archive/2012/10/15/ngeo20121015002.html

かつては「野蛮なネアンデルタール人」と「洗練された現生人類」といったイメージが固定化していたが、今や両者の境界はかなり曖昧になってきている。

ペーボ氏は、「やはり異種交配は実際にあったはずだ」と結論付けている。
新たな地を訪れた現生人類にとって、異種交配は思いがけない恩恵をもたらしていたようだ。現生人類は、ネアンデルタール人の遺伝子要素を通じて、ユーラシア土着のウイルスと戦う免疫系を獲得したと考えられている。

「完全に別物と考えられてきたネアンデルタール人と現生人類だが、互いの距離は着実に縮まっている。特に狩猟採集民とネアンデルタール人は区別が難しい」。

私も、ネアンデルタール人というと、現生人類とはまったく別系統の、遅れた人々でそれ故に絶滅した、というイメージを持っていたのですが、上記の記事(こうした内容のものが他でも最近増えつつあります)は、確かに、従来の定着したイメージを大きく覆すものですね。
異種交配があった、ということも徐々に承認されつつあるようで、そうすると、我々の祖先でもある、ということになります。
ネアンデルタール人と現生人類が併存していた当時の、両者の生活や交流、記事でも「謎」とされている、ネアンデルタール人が生き残れなかった理由、といったことについて、今後、さらに解明が進むことを強く期待したいと思います。
最近、このテーマに関して出された本も買ったので、読んだら感想も本ブログでアップするつもりです。

au 版 iPhone 5、バッテリー持ちでソフトバンク版を“圧倒” -- Apple 公表値をも上回る

http://japan.internet.com/allnet/20121015/4.html

2週間近くに及ぶ長期計測の結果、auiPhone 5ソフトバンク版に対して連続待ち受け時間で57時間の大差をつけただけでなく、Apple 社が公表しているスペック値(225時間)よりも21時間長い連続待ち受け時間を実現するという結果を残すことになったのだ。

この結果は、同じ iPhone 5 でも通信キャリアが発売にあたりハードウェア・ネットワークともに細かいチューニングを施した結果と考えられる。バッテリーの持続時間については、ユーザーの利用状況によって大きく差が生まれるものではあるが、今回の検証においては、auiPhone 5 の電池持ちの良さは Apple のスペック値をも上回るインパクトのある結果を残すことになった。

私が、iPhone5au版)を使い始め、iPhone4Sとの比較で特に感じるのが、バッテリーのもちが素晴らしく良い、ということです。今日は、午前7時ころからiPhone5を使いはじめましたが、このエントリーを書いている時点でバッテリー残量が79パーセントで、かなり余裕のあるバッテリー能力を持っているということを感じています。上記の記事で、auが言っている、チューニングによりバッテリーのもちがさらに良くなっている、ということが事実であるとわかります。なかなか努力してますね。
こういう状況で、今のところ、iPhone4Sで使っている、バッテリージャケットは、5では無くて済むのではないかと考えていて、iPhone5の軽さ、薄さを、できるだけ素の状態で楽しみたいと考えています。