内閣支持率31%に急落・日経世論調査

http://www.nikkei.co.jp/news/main/20080323AT3S2300M23032008.html

不支持率は54%と6ポイント上昇し、内閣発足以来初めて5割を超え、昨年7月の参院選前後の安倍内閣の水準に並んだ。日銀の福井俊彦前総裁の後任人事や、道路特定財源暫定税率問題などを巡る混乱などが要因とみられる。

民主党の肩を持つわけではありませんが、一度否決された人と同じ経歴の人を日銀総裁候補にしても、また否決されるのは目に見えていて、何の工夫も感じられません。検察庁で検事正がいなくても物事がまわって行くように、日銀総裁がいなくても、当面、特に困らないとは思いますが、むしろ問題は、日銀総裁すら決められない首相の指導力のなさ、ということでしょう。元々、影の薄い首相ですが、今夏の洞爺湖サミットまで首がつながっているかどうか、かなり怪しくなってきたように思います。

供述得にくい時代の捜査は

http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080324/crm0803240013000-n1.htm

日米では捜査手法そのものが違います。司法取引、おとり捜査、通信傍受などが認められ、自白なしでも立証手段が広くとられる米国に対し、日本は自白至上主義。同房者に告白した供述が信用できないとして無罪となった殺人放火事件など強引、不適切な捜査手法が批判されますが、自白重視がこうした捜査を招いたとの指摘もあります。
自白の信用性を証明するため、検察は米国と同様に取り調べの録音・録画(可視化)を試行中ですが、ある幹部は「昔と違って犯行を認めない傾向が強い。可視化を導入するなら自白がなくても立証できる米国のような手段を模索しなければ」と言います。

以前から、本ブログで繰り返しコメントしていますが、私の考え方は、国際的な水準に達する取調べの全面可視化を導入するとともに、自白やそれに匹敵する証拠を獲得できるだけの「武器」を捜査機関に与えるべきである、というものです。武器としては、上記の記事にあるような様々な制度が考えられるでしょう。
そういった改革は、従来の捜査観、捜査手法を大きく転換するものであり、当然、公判の在り方も変わり、日本の刑事司法全体が大きく変わることになります。取調べの可視化の問題は、そういった大きな変革へとつながる契機になるもの、という認識を正しく持たなければならないでしょう。

志布志事件「違法に接見交通権侵害」 国・県に賠償命令

http://www.asahi.com/national/update/0324/SEB200803240014.html

問題の接見は、03年の県議選曽於郡区で初当選した中山信一県議と妻が住民11人と計191万円を授受したとして公職選挙法違反の罪に問われた「志布志事件」の際、容疑者や被告とその弁護人の間で行われた。
訴状などによると、県警と鹿児島地検の捜査担当者は、容疑者や被告計7人から弁護士との接見内容を聞き取り、「否認をそそのかされた」「親族からの手紙をプラスチックの壁ごしに見せられた」といった趣旨の供述調書計76通を作成したとされる。

この判決で、上記のような行為の中のどの部分について、どのような理由で違法性が認定されたのかは、この記事を見る限りよくわからず、その点は改めてコメントしたいと考えています。
ただ、一般的に、取調べの中で、弁護人との接見状況を聞き出すような行為は、接見交通権が「秘密」交通権であることからも、原則として許されないことであり、被疑者側が自発的、積極的に供述するなど、ごく例外的な場合に、真に必要な限度において、許容される場合もある、というのが、常識的な理解でしょう。実際の捜査の現場でも、接見内容を聞き出すような行為は、通常、行われておらず、それだけに、志布志事件の異常性には際立つものがあります。
事件の筋を読み違え、間違った筋を無理矢理維持するために「踏み字」など自白強要を繰り返し、接見妨害まで行い、公判開始後も保釈に反対して無駄に身柄拘束を長引かせ、挙げ句の果てに全員無罪、という、日本の刑事裁判史上、類を見ないでたらめな捜査、公判について、捜査、公判を指揮した者が誰一人として責任を取ろうとしない点に、日本という国の衰え、堕落を見る思いがします。