森友問題、検審「さらに捜査を尽くすべきだ」 公文書改ざん厳しく指弾(毎日新聞) - Yahoo!ニュース
「公開の法廷で事実関係を明らかにすべく起訴する意義は大きい」。検審の議決書には、事件の核心を明らかにするよう求める市民らの思いがにじんだ。
昨年の不起訴処分の際、私は、朝日新聞からのコメントの求めに対し、
元検事の落合洋司弁護士の話
文書について、虚偽や変造を認めずに不起訴とした検察の処分には疑問を感じる。関連する14もの決裁文書を300カ所も改ざんすれば、文書自体の性質が変わる。それなのに、「本質的な部分は変えられていない」という陳腐な理屈で虚偽や変造と判断しないのは残念だ。今回の不起訴処分は「あれだけ改ざんしても処罰されない」という誤ったメッセージを国民に与えかねない。特捜部不要論も高まるだろう。過去には不起訴処分を不服として申し立てて開かれた検察審査会で強制起訴になった例もある。何をもって虚偽や変造とするかは専門家でも判断が分かれる。今後行われるであろう審査会の判断に注目したい。
と述べました。
そして、検察審査会の議決が出たわけですが、報道を見る限り、法理論的に無理のないところで、かつ、国民感情や健全な常識に沿った判断が示されており、特に違和感は感じませんでしたし、検察審査会の判断として十分にあり得たものだと感じました。
起訴相当ではなく不起訴不当となった理由は推測するしかありませんが、それだけ微妙さも抱える難しい案件だったということによるのでは、という気がします。そこは、更に踏み込んでほしかったという印象と、難しさへの共感のようなものも併せ感じるものがあり複雑です。
これまでの処理例から見て、検察が再捜査の上で起訴に踏み切る可能性は極めて低い(皆無)でしょう。起訴相当議決ではありませんから、再度の不起訴で本件は終結することになります。
ただ、これだけ問題になり、自殺者まで出た大事件で、誰一人起訴されないということに対して、国民から選ばれた検察審査員が検察の捜査結果に「不起訴不当」という烙印を押したことは、たとえ再度の不起訴で終結したとしても、大きな歴史的意義があると私は思います。検察への更なる不信感や大幅な組織改革への機運が高まる、1つの切っ掛けになる可能性もあるでしょう。