戦後70年:安倍晋三首相談話(全文) 2015年8月14日

http://mainichi.jp/shimen/news/20150815ddm010010147000c.html

我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫(わ)びの気持ちを表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。
こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。

日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。

私は(おそらく多くの人々も)どのような談話になるか、危惧感とともに注視していたものでしたが、予想以上にまっとうな内容で、私自身としてはほっとした感じでした。多くの日本国民にとって、違和感なく、すっと入ってくるものになっていたのではないかと思います。
ただ、少し気になったのは、既に内外で指摘されていますが、上記のように「こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎない」としつつも、現内閣としては「痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明」」していないのではないか、という点で、やや中途半端、玉虫色の印象は受けました。揺るぎない、と言っている以上、問題ないではないかとも言えますが、この辺は、詫びるべきではない、という意見に、政治的に配慮したということなのかもしれません。ぎりぎりの駆け引きがその背後であったような気がします。
もう一つよくわからなかったのが、上記のような、「謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。」としている点で、「あの戦争には何ら関わりのない」という意味では、その前で言っている「戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えて」いる、その人々も、子や孫、その先の世代の子供たちと同様の立場ですから、本来、そういった宿命を背負わせてはならないはずで、よくよく読んでいると、真意がどこにあるのかわかりにくくなってもきます。
おそらく、これは、様々な異なる意見に対してぎりぎりのところで譲歩、妥協した結果の産物であり、そういう目で、全体としての趣旨を重視しつつ読むべき、そう読んでほしいというものなのだろうというのが私の率直な印象です。突っ込みどころはありますが、何とか乗り切ったというところでしょうか。