これからの日本が進むべき道

総選挙の公示が迫り、12月14日の投票を経て、衆議院の新体制が決まります。現状では、与党が優勢で与野党の勢力関係や政界の構図に大きな変化は無さそうですが、与党がどこまで議席を減らすかによって、国民の現政権に対する見方の厳しさや評価の辛さがうかがい知れることになるかもしれません。私自身は、そこに重点を置いて総選挙を見ている感じです。
様々な議論が、これだけ活発にされるのも、国政選挙の中でも最高峰とされる衆議院議員総選挙ならではの感がありますが、目先のことだけでなく、やはり、今後の日本が進むべき道を、10年、20年、さらにはそれ以上の長いスパンで考えておく必要があり、もはやそこを避けては通れないでしょう。
現在の日本は、1000兆円にも及ぶ莫大な借入金を国家財政が抱え相当程度不健全かつ危険な状態にあって国際的にも強く憂慮されている状態にあり、今後は社会の高齢化も確実に進み「超高齢化社会」の到来を回避することはできず、少子化の中、少ない労働人口で莫大な高齢者を支えるという、これまでにない極めて厳しい状況を確実に迎えることになります(莫大な借入金を抱えたままで)。アベノミクスの狙い自体を全否定しようとは私も思いませんが、肝心の「第三の矢」、すなわち、日本経済を成長軌道に乗せる成長戦略の行き詰まりは、直近のGDPマイナス成長や、人々の経済に対する実感からもかなり明確になっていて、消費税再増税を一時的に見合わせても、構造改革自体が遅々として進んでいない現状では、目に見えて良い結果が出ることは期待しにくいように思います(政府、与党は、これから結果が出ると言い張ってはいますが)。そうして、日本自体の「劣化」が、このままではますます進むことになります。
昭和の終わり頃までの日本は、終身雇用、年功序列が当然のこととされ、若いときは給料が安く苦しくても、徐々に、右肩上がりで収入は増え、大きな成功はおさめなくても、人並みに頑張っていれば、自宅を得て家族を養い、子供が大きくなったころに定年を迎えて、その後はつましくても安定して生活できるという、生活、人生の見通しを多くの人々が持てる、そういう社会であったと思います。今や、社会の在り方、構造も大きく変わり、ごく一部の大きな成功をおさめる人々がいる一方で、大多数の人々は、かつてのような水準の収入を得ることが難しくなり生活の安定も得られず、格差が拡大し、日本は、統合された国家から、人々の生活もマインドも、分断、離散する方向へと進みつつあるのではないかと、憂慮されるものがあります。
かつてのような高度成長までは無理としても、着実に経済成長する、「成長モデル」を目指すのも一つの方向性ですが、そこをある程度割り切ってあきらめても、ブラック企業で酷使されたり過労死したり、そこまでいかなくてもろくに休暇も取れず働き詰めで疲弊したりしない、収入は頭打ちで税金は高くても、老後は安心、病気になっても懐の心配なく病院に行ける、日本人のイメージとしては「北欧モデル」のような国家を目指すのも別の方向性でしょう。政治も、バラ色の夢を振りまき、できもしないことをできると言い続けて日本を後戻りの効かない迷路へ連れ込むのではなく、できること、できないこと、今すべきこと、すべきでないことを明確に切り分けて、国民に痛みを感じてもらうしかないところは感じてもらう、しかし、そうである以上、最大多数の最大幸福が実現できるように舵取りをする、そういうことをすべき最後の時期に、今の日本は差し掛かっているのではないかという気が、総選挙を巡る様々な議論を見ながら、今の私にはしてなりません。
日本を、国家主義的な視点、感覚で、東南アジア、さらには世界の中でそのプレゼンスを高めたい、という考え方や動きが強く、大きくなってきている面がありますが、戦後の日本がどういうところから再スタートしたのか、国際的な協調関係、特に近隣諸国とのそういった関係を維持することが、平和を維持し、日本社会やそこに住む人々の生活を安定させるという視点を、常に明確に持って施策に反映させることも欠かせないと思います。