クール便、現場は悲鳴 「時間指定」も負担大に

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131105-00000011-asahi-soci

仕分けや配達時のずさんな温度管理が発覚したヤマト運輸の「クール宅急便」。ヤマト関係者は本社が定める作業手順が「現場の実態に合っていない」と問題の背景を語る。「時間指定」などの顧客サービスも重い負担になっているという。

要求高くて対価は低い 佐川がアマゾンとの取引撤退 宅配業界大揺れ
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20131001#1380598422

でも、

非常に便利な、膨大な人々の日常生活に直結したサービスが、1私企業の意欲、能力に依存しているというのは、怖い気がします。現状を当然のことと捉え過ぎると、状況が変わった際にダメージ(心理的な面も含め)が大きくなりますから、当然ではない、ぜい弱なものの上に立っている、という意識は持っておいたほうが良さそうです。

とコメントしたのですが、便利さを追求するあまり、そういったサービスを提供するのは「人」によるもので人が疲弊するようなサービスでは長続きしない、ということを忘れてしまうと、サービス自体が行き詰まってしまうだろう、と素朴に感じますし危惧されます。
利用者とすれば、物が早く着くに越したことはなく、時間指定もできればなお便利、ということになりますが、考えてみると、本が注文した日とか翌日に届かず2、3日経って届いても、かつては書店に注文してから2週間とか1か月しないと来なかったことを考えると、十分便利にはなっているわけで、ワインやアイスクリームなどをクール便で運んでもらうにしても同様でしょう。
サービスを提供する側も、できること、できないことを峻別して、できないことはできない、できないことを無理にやらない、と合理的に割り切りながら進めないと、結局、サービスの質の低下を招き、利用者に迷惑をかけたり不信感を与えることなってしまいます。サービスというものを考える上で、かなり本質的な問題を含んでいるような気がします。