http://www.nikkansports.com/general/news/p-gn-tp0-20130629-1149491.html
岡山大卒業後の1955年に検事任官となり、東京地検特捜部に通算約14年間在籍。副部長時代には、76年に故田中角栄元首相を逮捕したロッキード事件で主任検事を務めた。東京地検特捜部長としてダグラス・グラマン事件、東京地検検事正としてリクルート事件を陣頭指揮。「事上磨練」(仕事で自分を磨く)を信条に、大胆で緻密な手腕は検察内部で「特捜の鬼」と称された。
91年3月に広島高検検事長に転出。12月には大阪高検検事長に移り、通常の人事ルートでは法務省の要職を歴任した後に就く検察トップへの道は険しくなったとみられたが、佐川急便事件をめぐる検察批判を背景に中枢ポストに異動。ゼネコン汚職の捜査が中央政界に波及する直前の93年12月、検事総長に就任した。
ロッキード事件は、「戦後最大の疑獄事件」と言われましたが、登場人物(田中角栄元首相まで含む)のスケールの大きさ、事件の規模や深さ、解明されなかった部分の大きさ等々、もう、これを超える疑獄事件は出現しないのではないかと思います。そういう事件を解明すべき、その時に、東京地検特捜部に吉永祐介という人物が配されていたことに、何か運命のようなものを感じずにはいられません。
ロッキード事件を経て、東京地検特捜部の名声、威信は確固たるものになったものの、その後の歴史は、築いたものによって次第に自縄自縛に陥り、遂には決定的に行き詰まり新たなモデルを見出せずにいるのが今、ということでしょう。訃報に添えられた関係者のコメントを見ると、吉永氏に見習うべき、といった論調のものが目立ちますが、事件に臨む姿勢、精神には大いに学ぶべきものが今なおあるものの、手法については、吉永氏が遺したものを刷新し新たな時代、人に即したものにしなければならないでしょう。一つの時代を画した吉永氏が、後輩達に何か言葉を残すとすれば、そういうことを言いたかったのではないかと、私には思えてなりません。
昭和の末に検事任官を志し、ロッキード事件のような事件が解明できる検事を目指し、吉永検事総長当時に、まだその職にあったものの挫折し今ではしがない弁護士として社会の片隅で細々と生きる私として、この訃報には様々な感慨が浮かび上がっては消えるという感じがします。とても大きなものが、また1つ消えた、という、何とも言えない喪失感を、当分、払拭できないでしょう。御冥福をお祈りします。