会田誠展について

http://www.mori.art.museum/contents/aidamakoto_main/message.html

現在、弊館で開催中の「会田誠展:天才でごめんなさい」では、既にご案内のとおり、展示内容に性的表現を含む刺激の強い作品が含まれております。これらの作品は特定ギャラリーに展示し、18歳未満の方や、このような傾向の作品を不快に感じる方のご入場をご遠慮いただいておりますが、この展示内容についてさまざまなご意見が寄せられていることから、あらためて、本展の開催趣旨について、これらの作品の展示意図を含めお伝えしたいと思います。

美術館は、美術を通して表現される様々な考え方の発表の場であり、それによって対話と議論の契機を生み出します。本展に関しても、多くの異なった意見を持つ方々が議論を交わすことが重要であると思われます。また日本の良さは、そのような個々人の多様な意見を自由に表現・発表できる社会となっていることではないでしょうか。

この件については、

会田誠さん作品:市民団体が抗議 「児童ポルノ」と批判
http://mainichi.jp/feature/news/20130208ddm041040168000c.html

で、

東京都港区の森美術館で開催中の美術家、会田誠さん(47)の個展で展示されている一部絵画に対し、市民団体から「作画による児童ポルノだ」として撤去などを求める抗議があったことが、7日分かった。

市民団体「ポルノ被害と性暴力を考える会」は、1月25日付で抗議文を発送。「公共性を持った施設が公開するのは差別と暴力を正当化することだ」などと批判している。

と報じられているような状況になっていて、これについて、森美術館側が、上記のページで見解を公表しています。表現の自由も絡み、なかなか難しい問題であると思います。本件について、私は、問題の作品を見ていないのですが、わいせつ図画、児童ポルノとして刑罰法令に触れる違法性はない、ということのようであり、そういう前提で、この問題を考えてみると、芸術作品により一定の思想、主張を表現しようという行動については、違法性がない限り、最大限保障されるべきで、表現行為を通じ広く人々の評価を得る(批判も含め)、というのが、表現の自由が保障された社会でのあるべき在り方ではないかと思います。美術館のような場は、そうした様々な表現行為に対して、表現の場を提供するものですが、場を提供したからその表現行為を支持する、支援するというものではない、というのが一般的な考え方だと思いますし、今回の件の森美術館にも、上記の見解にあるように、そのような意図はないでしょう。もちろん、特定の表現行為を「不快だから見たくない」という人の気持ちも尊重される必要はありますが、美術館で、年少者への公開を控えるなどしつつ、見たい人に見せる、という方法であれば、見たくない人が図らずも見てしまう、ということは防止できます。適法であるという枠組みの中で、表現行為が行われる自由は最大限尊重されつつ、それに対する批判も活発に行われる、というのが、自由で民主的な社会における表現の自由の在り方でしょう。人々から支持されない、批判が強い表現行為は、自ずと世の中から消えて行くことになるはずで、そういう自浄作用が働く前に、人々の評価の対象になる前に、強制的に表現行為を封殺することは、自由で民主的な社会を支える表現の自由の重要性を考えると、賛成できません。
そのような、強制的に表現行為を封殺するような行為が認められてしまうな状況は、そのような行為者の行為自体が今度は封殺されることにつながり、ブーメランのように自分に跳ね返ってくる、自分で自分の首を絞めかねない危険なことである、という自覚も必要ではないかと思います。
そういった意味で、私は、森美術館の上記のような見解に共感を覚えますし、今後、こうした紛争が生じた場合に、抗議に対し、美術館等が真摯さ、誠実さを保ちつつ毅然として対応する、そのための参考になる先例として活用してほしいと感じています。