グーグル検索結果の削除、初の判断基準 最高裁が示す

http://digital.asahi.com/articles/ASK2141J0K21UTIL00P.html?ref=rss&utm_source=dlvr.it&utm_medium=twitter

第三小法廷はまず、検索結果について「検索事業者による表現行為の側面を持つ」と指摘。「現代社会でインターネット上の情報流通の基盤として大きな役割を果たしており、検索結果の削除はこの役割に対する制約になる」と述べた。
その上で、検索結果という表現行為による利益に比べ、逮捕歴などのプライバシーに関する事実を公表されない個人の利益が明らかに上回る場合には削除が認められると判断。比較の際に考慮する要素として、事実の性質や内容▽公表で受ける被害の程度▽削除を求める人の社会的地位・影響力▽記事の目的や意義――などを挙げた。

最高裁のサイトにアップされていた決定書も読んでみたのですが、

http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/482/086482_hanrei.pdf

最高裁もかなり考えたな、という印象を受ける一方で、もう少しプライバシー等の人格権に寄った判断にはならなかったのかという印象を受けました。
検索結果の表示について、表現の自由としての保護が及ぶことは否定できませんが、機械的に表示されるものであり、必要に応じて様々に結果表示の基準も修正されていて、しかも、検索エンジンの運営業者はそれで莫大な利益を受けている(広告等)という、商業的な側面も強く、表現の自由としての保護も、人格権という人間の尊厳上で重要な権利に対して制約を受ける度合いはそれなりにあると考えるべきでしょう。
特に問題がありそうなのは、記事にもあるように、検索結果の削除が認められるのは、個人の利益が「明らかに」上回る場合とされていることで、この明白性という要件は、今後、削除を求める側にとって相当大きなハードルになる可能性があります。最高裁は、上記のような基準を定立した上で、児童ポルノ禁止法での罰金前科が検索結果に表示されることにつき、そういった意味での明白性までは認められないとしているのですが、市井の無名人が、既に事件から5年以上も経過し家族とともに平穏に生活しているにもかかわらずそのような情報が検索結果に表示されることを明らかに上回る個人の利益が認められないとする、当てはめ部分にも疑問を感じる人は多いでしょう。
原審の東京高裁での判断では、そういった「明白性」までは要求されていなかったはずで、

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20160713#p2

比較考量上のバランスとしていかがなものかと危惧されるものがあります。ただ、今後の運用に委ねられている面もありそうです。
日本では、「忘れられる権利」が実定法上認められておらず、ダイレクトにそのような議論を持ち込むことには無理がありますが、世界的な趨勢として、検索結果の削除を求める側の権利保護が重視されつつある、その流れには今ひとつ乗れていないのではと感じるものがあります。