国家公務員機関紙配布:政治活動、制限を緩和 最高裁判決、無罪確定へ

http://mainichi.jp/select/news/20121208ddm001040039000c.html

2人は国家公務員の政治的行為を制限する同法の規定が表現の自由に違反すると主張。規定については、北海道猿払(さるふつ)村で選挙ポスターを掲示した郵便局員を有罪とした「猿払事件」の最高裁判決(74年)が合憲と判断しており、今回の判決も合憲とした。
一方で「表現の自由は民主主義社会の基礎で、公務員の政治的行為の禁止はやむを得ない限度にとどめるべきだ」とし、政治的行為とは「政治的中立性を損なう恐れが観念的なものにとどまらず現実的に起こり得るとして実質的に認められるものを指す」と初めて定義。実質的かどうかは「公務員の地位、職務内容や権限、行為の性質などを総合判断するのが相当」とし、具体的な判断要素として(1)管理職的地位の有無(2)裁量の有無(3)勤務時間の内外(4)国施設の利用の有無(5)地位利用の有無−−などを挙げた。

猿払事件最高裁大判決は、公務員の政治的行為の禁止を合憲としつつも、そのような禁止が「合理的で必要やむを得ない限度にとどまるものである限り」という限定は付していて、その判断基準については、①禁止の目的②目的と禁止される行為の関連性③政治的行為を禁止することにより得られる利益と失われる利益との均衡を挙げていました。そのような基準では、公務員の政治的行為が一律禁止になりやすい、と強く批判されてきた、という流れで来た中で、本件の最高裁判決は、猿払事件を前提としつつ(判例変更ではなく、より明確化した、という位置付けのため大法廷回付にしなかったのでしょう)、猿払事件が言う、「合理的で必要やむを得ない限度」を再定義した、ということになるのではないかと思います。猿払事件における基準では、公務員の全体の奉仕者性、公務員の政治的中立性、といった、抽象的になりがちな利益を強調するあまり公務員の政治活動、表現の自由といった対立する重要な利益がないがしろにされがちであったものを、政治的中立性を損なう恐れの現実性、実質性という観点を持ち込んだ上で、上記の記事にあるような判断要素や判断手法を明示することで、刑罰の対象になる行為を限定しようとしたもので、その意味では、使える基準として評価はできるのではないかと思います。従来あったような、公安警察の点数稼ぎのために末端の公務員が検挙しやすいがために検挙される、といったことは、今後、相当困難になるでしょう。
ただ、残る問題として(むしろ、この点が重要ですが)、公務員の政治的行為について、刑事罰をもって臨むのがそもそも妥当なのか(懲戒権を適切に行使すれば足りる、という考え方もあり得るでしょう)、刑事罰の対象にするにしても、今回の最高裁が示した基準よりもさらに限定すべきではないか、といったことも、今後、検討される余地はあります。
そういった議論を、最高裁判決を契機として、さらに深める必要がありそうです。

追記:

判例時報2174号21ページ(最高裁第二小法廷平成24年12月7日判決)