証券取引法(平成18年改正前のもの)167条2項にいう「公開買付け等を行うことについての決定」の意義

いわゆる村上ファンド事件に関する、最高裁第一小法廷平成23年6月6日決定ですが、判例時報2121号34頁以下に掲載されていました。
上記の「決定」については、1審判決で、

村上ファンド事件1審判決・残る法律上の問題点(日経産業新聞の記事に関連して)
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20070722#1185033915

でコメントしたように、「実現可能性が全くない場合は除かれるが、あれば足り、その高低は問題とはならない」とされたのに対し、2審では、

<インサイダー>村上世彰被告に猶予付き判決 東京高裁
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20090203#1233640330

でコメントしたように、

決定に係る内容(公開買い付け等、本件でいえば、大量株券買集め行為)が確実に行われるという予測が成り立つことまでは要しないが、その決定はある程度の具体性を持ち、その実現を真摯に意図しているものでなければならないから、そのためには、その決定にはそれ相応の実現可能性が必要であると解される。その場合、主観的にも客観的にも、それ相応の根拠を持ってそのよう実現可能性があると認められることが必要である。

という判断が示され、広すぎると思われた1審の判断を、ある程度限定する判断が示されていました。
しかし、最高裁は、

http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20110608110039.pdf

の通り、

同条は,禁止される行為の範囲について,客観的,具体的に定め,投資者の投資判断に対する影響を要件として規定していない。これは,規制範囲を明確にして予測可能性を高める見地から,同条2項の決定の事実があれば通常それのみで投資判断に影響を及ぼし得ると認められる行為に規制対象を限定することによって,投資判断に対する個々具体的な影響の有無程度を問わないこととした趣旨と解される。

とした上で、

したがって,公開買付け等の実現可能性が全くあるいはほとんど存在せず,一般の投資者の投資判断に影響を及ぼすことが想定されないために,同条2項の「公開買付け等を行うことについての決定」というべき実質を有しない場合があり得るのは別として,上記「決定」をしたというためには,上記のような機関において,公開買付け等の実現を意図して,公開買付け等又はそれに向けた作業等を会社の業務として行う旨の決定がされれば足り,公開買付け等の実現可能性があることが具体的に認められることは要しないと解するのが相当である

という判断を示し、本件で、そのような意味での決定があったとしています。1審の判断に戻ったと言ってよいでしょう。
最高裁が指摘する、規定の性格に関する、「規制範囲を明確にして予測可能性を高める見地から、同条2項の決定の事実があれば通常それのみで投資判断に影響を及ぼし得ると認められる行為に規制対象を限定することによって、投資判断に対する個々具体的な影響の有無程度を問わないこととした趣旨」ということは、1つの理屈ではありますが、あまりに形式論に過ぎていて、人の行動の自由を制約するする度合いが強くなりかねず(外形上「決定」があれば、それを知ってしまった以上、取引が制約され、決定が存在し続ける以上、制約は解かれない、ということになりかねない)、今後に禍根を残したのではないかと危惧されるものがあります。
その点について慎重な見方をした、東京高裁における2審判決をうまく汲み取った規範定立がされなかったのは、残念という気がします。