他の者を搭乗させる意図を秘し、航空会社の搭乗業務を担当する係員に外国行きの自己に対する搭乗券の交付を請求してその交付を受けた行為が、詐欺罪に該当するとされた事例(最高裁第一小法廷平成22年7月29日決定)

判例時報2101号160頁以下に掲載されていました。
最高裁のサイトでは
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20101206114204.pdf
と掲載されています。
決定では、

本件において,航空券及び搭乗券にはいずれも乗客の氏名が記載されているところ,本件係員らは,搭乗券の交付を請求する者に対して旅券と航空券の呈示を求め,旅券の氏名及び写真と航空券記載の乗客の氏名及び当該請求者の容ぼうとを対照して,当該請求者が当該乗客本人であることを確認した上で,搭乗券を交付することとされていた。このように厳重な本人確認が行われていたのは,航空券に氏名が記載されている乗客以外の者の航空機への搭乗が航空機の運航の安全上重大な弊害をもたらす危険性を含むものであったことや,本件航空会社がカナダ政府から同国への不法入国を防止するために搭乗券の発券を適切に行うことを義務付けられていたこと等の点において,当該乗客以外の者を航空機に搭乗させないことが本件航空会社の航空運送事業の経営上重要性を有していたからであって,本件係員らは,上記確認ができない場合には搭乗券を交付することはなかった。また,これと同様に,本件係員らは,搭乗券の交付を請求する者がこれを更に他の者に渡して当該乗客以外の者を搭乗させる意図を有していることが分かっていれば,その交付に応じることはなかった。

以上のような事実関係からすれば,搭乗券の交付を請求する者自身が航空機に搭乗するかどうかは,本件係員らにおいてその交付の判断の基礎となる重要な事項であるというべきであるから,自己に対する搭乗券を他の者に渡してその者を搭乗させる意図であるのにこれを秘して本件係員らに対してその搭乗券の交付を請求する行為は,詐欺罪にいう人を欺く行為にほかならず,これによりその交付を受けた行為が刑法246条1項の詐欺罪を構成することは明らかである。

とされています。決定が指摘するように、「搭乗券の交付を請求する者自身が航空機に搭乗するかどうかは,本件係員らにおいてその交付の判断の基礎となる重要な事項であるというべきであるから,」、そのような重要な事項、本質的な要素について欺き錯誤に基づく交付をさせた行為が詐欺にあたる、というのは、特に違和感はありません。
ただ、文書一般の不正取得について、例えば旅券等の不正取得については、詐欺罪は成立しない、とされ、その理由付けとして、判例時報のコメントでも紹介されているように、近時、「法益関係的錯誤」により区別しようとする考え方が有力になっています。この点について、山口厚教授は、

新判例から見た刑法 第2版 (法学教室Library)

新判例から見た刑法 第2版 (法学教室Library)

の中で、法益関係的錯誤について、

財物・財産上の利益の交付により達成しようとしていた目的が達成された場合には、移転意思に瑕疵はなく、財物・財産上の利益の喪失について法益侵害性が否定されることになり、目的が達成できない場合に、移転意思には瑕疵があることになる。言い換えれば、目的不達成という法益侵害の発生に同意がない場合、移転した財物・財産上の利益の喪失についての法益侵害性が肯定されることになるのである。
(230頁)

として、旅券については、手数料を納付した申請者に旅券を交付することをもって目的が達成されるので、虚偽の申立があり不実の記載があっても法益関係的錯誤はなく詐欺罪は不成立である一方、最高裁判例で詐欺罪成立が認められている保険証書や預金通帳の不正取得について、保険証書は財産的価値ある保険給付を受け得る地位を与えるべきではない者に与えたという意味で、また、預金通帳は厳格な本人確認が法律上要求される現状の下、本人以外の者が本人と偽って預金口座を開設し通帳を取得することで本人に本人名義の通帳を交付するという目的が達成されなかったという意味で、それぞれ、法益関係的錯誤があるとされています(同書231頁から234頁)。
従来、こうした各ケースで詐欺罪の成立を否定する理由として、「財産上の損害がない」ことが根拠とされがちでしたが、山口教授が指摘されるように、財産上の損害が要件とされない詐欺罪で、しかも、財物性が否定し難い物(盗めば窃盗罪が成立が肯定される)について財産上の損害の欠如を理由とすることには無理があり、法益関係的錯誤という考え方は、この種の問題を一元的に解決する上で魅力ある考え方ではないかと思われます。
上記の最高裁決定は、法益関係的錯誤という考え方には立たないものの、その考え方に立っても、預金通帳の場合と同様に、厳格な本人確認の下で本人に搭乗券を交付するという目的が達成されていないという点で法益関係的錯誤がある、ということになるはずで、判例時報のコメントでも、法益関係的錯誤の立場からも本決定の結論を是認し得るのではないかと思われる、とされています。
判例の考え方や近時の有力説の立場に照らし、この種の問題をいかに考えるかという意味で、重要かつ参考になる判例という印象を受けるものがあります。