共同通信記事掲載の地方紙、名誉毀損訴訟で逆転勝訴

http://www.asahi.com/national/update/0428/TKY201104280348.html

最高裁が、いわゆる配信サービスの抗弁を一定の範囲内で肯定し、その基準を明示した点で、注目すべき判決でしょう。

第一小法廷は「通信社と加盟社の間で取材から掲載までの一連の過程に一体性がある場合、その記事が真実だと信じる相当の理由が通信社にあれば、加盟社も責任を負わない」と判断した。地方新聞社は加盟社として共同通信社の経営に参画していることなどから一体性があると結論づけた。

問題の記事は、共同通信社が02年7月に配信した医療ミスに関する記事。医師は名誉毀損(きそん)にあたるとして、ネット上に記事を掲載した同社と、紙面に掲載した上毛新聞社前橋市)、静岡新聞社静岡市)、秋田魁新報社秋田市)に賠償を求めていた。
一審・東京地裁は07年9月、共同通信社については、大学側の調査報告書などに基づいて報じたことなどを理由に賠償責任はないとした。一方で、地方紙3社に対しては「通信社の配信という理由だけで、記事が真実だと信じる理由があったとはいえない」として、計385万円の賠償責任を認めた。
二審・東京高裁は09年7月、一審に続いて共同通信社の責任を否定。さらに、配信記事に名誉毀損が成立しなければ、掲載した地方紙も賠償責任を負わないと判断したため、医師側が上告していた。共同通信社に対する上告はすでに受理しない決定が出ており、同社の勝訴が確定している。

最高裁のサイトに掲載されていました(平成21(受)2057 損害賠償請求事件 平成23年04月28日 最高裁判所第一小法廷 判決 棄却 原審東京高等裁判所)。
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20110428143545.pdf

判決では、記事でも紹介されているように、

新聞社が通信社を利用して国内及び国外の幅広いニュースを読者に提供する報道システムは,新聞社の報道内容を充実させ,ひいては国民の知る権利に奉仕するという重要な社会的意義を有し,現代における報道システムの一態様として,広く社会的に認知されているということができる。そして,上記の通信社を利用した報道システムの下では,通常は,新聞社が通信社から配信された記事の内容について裏付け取材を行うことは予定されておらず,これを行うことは現実には困難である。それにもかかわらず,記事を作成した通信社が当該記事に摘示された事実を真実と信ずるについて相当の理由があるため不法行為責任を負わない場合であっても,当該通信社から当該記事の配信を受け,これをそのまま自己の発行する新聞に掲載した新聞社のみが不法行為責任を負うこととなるとしたならば,上記システムの下における報道が萎縮し,結果的に国民の知る権利が損なわれるおそれのあることを否定することができない。

とした上で、

新聞社が,通信社からの配信に基づき,自己の発行する新聞に記事を掲載した場合において,少なくとも,当該通信社と当該新聞社とが,記事の取材,作成,配信及び掲載という一連の過程において,報道主体としての一体性を有すると評価することができるときは,当該新聞社は,当該通信社を取材機関として利用し,取材を代行させたものとして,当該通信社の取材を当該新聞社の取材と同視することが相当であって,当該通信社が当該配信記事に摘示された事実を真実と信ずるについて相当の理由があるのであれば,当該新聞社が当該配信記事に摘示された事実の真実性に疑いを抱くべき事実があるにもかかわらずこれを漫然と掲載したなど特段の事情のない限り,当該新聞社が自己の発行する新聞に掲載した記事に摘示された事実を真実と信ずるについても相当の理由があるというべきである。そして,通信社と新聞社とが報道主体としての一体性を有すると評価すべきか否かは,通信社と新聞社との関係,通信社から新聞社への記事配信の仕組み,新聞社による記事の内容の実質的変更の可否等の事情を総合考慮して判断するのが相当である。以上の理は,新聞社が掲載した記事に,これが通信社からの配信に基づく記事である旨の表示がない場合であっても異なるものではない。

という基準を示し、これを本件にあてはめ、具体的な事実関係の下で、上記のような「一体性」を肯定し、漫然と掲載したなど特段の事情もうかがわれないとして、新聞社の責任を否定しています。
以前に、本件の高裁判決の際、本ブログで、

名誉棄損:地方3紙に賠償責任なし 通信社記事巡る訴訟
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20090728#1248781069

とコメントしたように、配信サービスの抗弁というものを、一定の範囲内で肯定しないと、通信社から配信された記事を掲載しているような地方紙は存立が困難にすらなりかねず、最高裁が上記のように述べる通り、国民の知る権利が損なわれかねませんから、最高裁がこのような判断を示したことは評価されるべきでしょう。
ただ、本件で問題となったような、通信社から記事を配信されるという従来のシステムを超えて、多種多様な仲介者を経てニュースが報じられ、国民の知る権利に資しているという現状がある中、本判決が言うような「報道主体としての一体性」を強調し、そういった場合にしか免責を認めないとすれば、実質的に、仲介する立場で、ニュースの配信元を信頼するのが相当と認められるような場合に免責が認められないことになり(例えば、ヤフーニュースを想定すればわかりやすいでしょう、配信元と、本判例が指摘するような一体性までは肯定できないと思います)、国民の知る権利を保障する上で問題が生じかねないでしょう。
今後、配信サービスの抗弁が、本判決が示した基準の範囲内でしか認められないのか、さらに拡張され肯定される余地があるのか、引き続き、検討、議論の余地があるのではないかと思います。

追記1(平成23年8月11日):

判例時報2115号50頁以下
コメントが、従来の議論、判例の流れを網羅し、「報道主体としての一体性」の射程距離についても言及していて、参考になると思われました。

追記2(平成24年4月2日):

山口成樹・判例評論638号22頁以下(判例時報2139号168頁以下)
←「配信記事中に確実な資料・根拠が示されていない場合は通信社に確実な資料・根拠を示すように要求」すべきで、新聞社にはその限度で調査義務がある、とするが、現実的に可能とは思われないし、配信システムの機能を麻痺させる恐れもあり、最高裁が指摘するような、こうしたシステムの持つ重要な意義を没却させかねないと思う。