最高裁、「ロクラク」訴訟でも審理差し戻し 「複製の主体は利用者」とした二審判決を破棄

http://internet.watch.impress.co.jp/docs/news/20110121_421875.html

二審の知財高裁は2009年2月、日本デジタル家電の管理・支配する場所に親機が設置されていたとしても、サービス利用者の私的複製を容易にするための環境などを提供しているに過ぎないとして、日本デジタル家電は複製の主体にはあたらないと認定。一審判決の損害賠償命令などを取消した。
最高裁判決では、「複製の主体の判断にあたっては、複製の対象、方法、複製への関与の内容、程度などの諸要素を考慮して、誰が当該著作物の複製をしていると言えるかを判断するのが相当」だとした上で、放送番組の場合にはアンテナで受信した放送を機器に入力しなければサービスとして成立せず、この行為はサービス提供に不可欠な「放送番組の複製の実現における枢要な行為」であり、サービス提供者が複製の主体であると解するのが相当だと指摘。原審判決を破棄し、審理を知財高裁に差し戻した。

最高裁の判決文は

http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20110120144645.pdf

ですが、問題となった権利が異なったものの(おそらく使用された機器の仕組みによるものでしょう)、「まねきTV事件」と、同じ論理で判断されていて、カラオケ法理が炸裂しているという感じですね。
確かに、あまりにも形式的な見方、解釈というものは、本質から目をそらすことになる場合がありますが、最高裁が言う「複製の主体の判断にあたっては、複製の対象、方法、複製への関与の内容、程度などの諸要素を考慮して、誰が当該著作物の複製をしていると言えるかを判断するのが相当」という基準は、機器が発達し、個々の利用者が大部分の行為を行い、そのプロセスの一部を別の者が補助することで完結させる形態について、補助者の行為を過大視して主体とする危険性をはらみ、まねきTV事件にも問題は共通しますが、最高裁は、権利者に引きずられ、機器の発達により権利侵害を回避しつつ利便性を享受したいという一般国民の素朴な、ささやかな利益を徹底的に否定したという評価が可能でしょう。
こうした、どうとでも展開できる曖昧な法理があることで、技術の進化をうまく利用し権利侵害を回避しつつビジネスを展開しようという動きが封じられることにもなり、よく言われる官製不況と同様の問題性も指摘できそうです。
著作権の世界に限った話ではありませんが、権利者さえ手厚く、過剰に保護されれば良いのか、権利の本質的な部分が害されず実害もなければ第三者による合理的な利用が認められても良いのではないかというのは、正に、フェアユース(公正利用)の発想ですが、最高裁にそういった発想が欠如し、権利者に操られお膳立てされた論理の中でしか考えられないことが明らかになっている以上、法改正等により改善を図る必要がさらに高まったと言えるように思います。

追記1(平成23年4月18日):

判例時報2103号128頁(最高裁第一小法廷平成23年1月20日判決)

追記2:(平成23年11月3日)

判例時報2123号182頁(判例評論633号36頁・小泉直樹)