戦国絵巻をほうふつ ナゾに包まれた石山本願寺

http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/091031/acd0910310002000-n1.htm

歴史教科書にも登場する石山本願寺は、戦国史研究にとって重要な寺院にもかかわらず、実態はほとんど分かっていない。寺があったとされる現在の大阪城公園内は大半が国特別史跡で、観光客でにぎわう場所でもあり、発掘調査が困難なことが大きな理由だ。

石山本願寺は信長の攻撃に備えて、要塞(ようさい)を思わせる堀や土塁を築いたとされ、石山合戦でも信長側の占領を許さなかったという。松尾館長は「石山本願寺は信長勢に屈しないほど難攻不落で、まさに城郭というべき寺院だった」とし、ポルトガルの宣教師、ルイス・フロイスが「旧城」と記した点については「フロイスが城郭と感じるほど堅牢(けんろう)だったからだろう」と話した。

戦国末期に関する本を読むと、必ず石山本願寺織田信長との間の10年にもわたる攻防が出てきますが、石山本願寺の具体像、実像というものは、ベールに包まれている感じで、私自身もイメージすることができません。しかし、記事にもあるように、織田軍の攻撃にも長期にわたり耐え抜いたことを思うと、「寺」というより「城」であり、かなり考え抜いて造られた一大要塞であった可能性が高いでしょう。その構造が、その後の城郭建築に影響を及ぼしたことも考えられ、限界はあるとしても、その具体像、実像をできるだけ明らかにすべく、発掘や調査研究を是非ともやってほしいという気がします。
今後、解明が進むことを期待したいと思います。