8月6日 エノラ・ゲイは二度舞った(アエラ8月10日号)

今週、テレビでこの記事について紹介しているのをたまたま見て、興味を感じ、帰京後、アエラを買って読んでみました。
記事の中でも紹介されている

昭和史の謎を追う〈下〉 (文春文庫)

昭和史の謎を追う〈下〉 (文春文庫)

は、かなり前に私も読んだことがあったものの、この問題の重大さは、上記のアエラの記事を読んで初めて認識しました。
結論から言うと、米国側の記録では否定されるものの、日本側の記録や目撃証言によると、エノラ・ゲイは、一旦、広島付近上空を通過し、岡山付近まで進んだ後、反転して広島上空に進入し原爆を投下した、それは、空襲警報を解除させ野外に多くの人がいる状態の中で原爆を炸裂させ人体に対する効果を測定する目的によるものであった、ということが、この記事の趣旨でした。断定はできないものの、日本側の記録、目撃証言にはかなり信憑性があり、その可能性が高いものと思われました。
思い出すのは、戦後、広島市内にある比治山という小高い山の上に設けられたABCC(Atomic Bomb Casualty Commission、現在は放射線影響研究所)という機関で、

http://www.pcf.city.hiroshima.jp/virtual/VirtualMuseum_j/visit/est/panel/A4/4103_2.htm

広島で生まれ育った私は、ABCCについて、被爆者が死亡するとその遺体を調査させてほしいと言ってくるなど酷く非情な組織であるという悪評を、子供の頃から何度も聞いたものでした。米国が、戦後のソ連との対立を見据えて、広島、長崎への原爆投下により、核兵器の効果に関するデータを幅広く収集しようとしていたことは間違いなく、上記のような反転飛行も、そのために仕組まれた可能性が、やはり、かなり高いと言わざるを得ないでしょう。
米国との友好関係を維持、発展させることは、今後も積極的に推し進められて良いと思いますが、多数の非戦闘員も住む都市に、原爆のような非人道的な兵器を平然と投下し、今なお、より多くの人命を救うためにはやむを得なかったなどとうそぶいているような国である、ということは覚えておき、米国の国益のため切り捨てられるような事態にならないよう、常に注意は怠らないようにすべきではないかと改めて感じました。