- 作者: 石塚健司
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2009/04/11
- メディア: 単行本
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今日、検察庁を2つはしごして訪問した後、事務所に戻る前に書店に立ち寄ったところ、これがあったので、早速、購入し、先ほど、一気に読みました。
題名はなかなか刺激的ですが、内容は、最近の東京地検特捜部について、マスコミとして、また、著者がある事件の被疑者の知人として関わった立場から、真面目かつ批判的に論じたもので、やや思い込んでいる部分や情報源に踊らされているような部分も散見されたものの、批判としてはそれなりに見るべきものがあるように感じられました。最後のほうで、特捜部の戦後の歩みが簡潔におさらいされていて、そういった事情を知らない人に役立つという面もありそうです。
私のように、10年余りで検察庁をドロップアウトして、しがない弁護士になり果て、ブログを書く程度でささやかに人の目に触れる程度の者が、検察庁とか特捜部といった大きな話題についてコメントするのも、おこがましいものがありますが、著者が指摘するような人材不足、能力低下といった問題以上に、社会が、組織が、また人の様々な動きがますます複雑化し、捜査の対象となる人々の権利意識も高まり、弁護活動も活発化、巧緻化する中で、従来のように、任意捜査で内偵を進めつつ、こうだろう、ああだろうと絵を描き、絵に沿って捜査を進めた上で、強制捜査により描いた絵が間違っていないことが明らかになりました、起訴して有罪になりました、めでたしめでたし、ということに、なかなかならなくなっているという現状があるように思います。そうではあっても、天下の特捜部である以上、目覚ましい結果を出すことが常に求められ、どうしても無理に無理を重ね、極端な話、事件がなければ事件を作ってしまうようなことになってしまっている、という面は、やはりあるように思います。
無理に無理を重ね、怒鳴ったり脅したりなだめたりすかしたりしながら事件を苦心してまとめるという手法も、もう限界に来ていると言っても過言ではなく、取調べの可視化の要請がますます高まるような現状の中で、捜査手法というものを抜本的に改革することを真剣に考えないと、真の意味で摘発すべき「巨悪」は逃げてしまい、捕まるのは逃げ遅れた間抜けな雑魚とか、見込み違いの捜査による気の毒な犠牲者ばかりという、目も当てられないような悲惨な状態へと、坂道を転がり落ちるように転落しかねないでしょう。
そういったことを、いろいろと考えさせられる1冊ではありました。
追記:
以前に、本ブログでコメントしたことがある
- 作者: 村山治
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を読みなおしていたところ、被疑者がなかなか「割れない」理由について、
エースクラスの検事の能力がロッキードやリクルート事件当時の検事に比べて劣っている訳ではない。被疑者側の防御能力が格段に向上しているのだ。「供述しなければ訴追されない」と示唆され、覚悟を決めて取調べに臨む被疑者から真相を聴き出すのは容易なことではない。
(197ページ)
とあって、「墜ちた最強捜査機関」の著者とは、やや見方が異なっていて、私の感覚は、どちらかと言うと「市場検察」の著者のほうに近いと感じました。